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東海最前線

超低解像度絵画「Mozaiko」と「Textured」が生み出すコンテンツビジネス(岐阜県北方町)

(ここが最前線)オリジナルのアート創造によりコンテンツビジネスを開拓

近年、「コンテンツビジネス」という言葉をよく耳にするようになりました。「コンテンツビジネス」とはオリジナルコンテンツ(著作物)を作り、それを商品化して販売することで利益を得ることです、現在の分散型インターネット時代に親和性が高いことから注目されています。

10年以上前、ようやくインターネットを使ったビジネスが周知されはじめた頃、当時岐阜県大垣市でNPO法人「デジタル・アーカイブ・アライアンス(DAJA)」という団体の事務局長をやっていた清水温度さんは、オリジナルの「超低解像度」絵画「Mozaiko」(モザイコ)の商品化に向けて動き出していました。まさに今でいうコンテンツビジネスの先駆けだったのです。

清水さんはさらに、ベースとなるモザイコの濃度階調に方向性を持った幾何学パターンをはめ込む手法「Textured(テクスチャード)」を確立し、日米で特許を取得。様々な場所での展示販売や、企業オーダー作品を手掛け、近年は画家として新たな技術を採り入れるなど、活動の幅を広げている清水さんに、いちはやくコンテンツビジネスに着手した理由について、またアートにおけるビジネスの可能性について話を聞きました。

清水温度さん。本名は清水麗軌(しみず よしみち)さん。岐阜県揖斐川町出身。岐阜市在住。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。凸版印刷に入社するが学者を目指して退社。その後、岐阜県にUターンし、「国際情報芸術アカデミー」(IAMAS)に奨学生として入学。NPO法人デジタル・アーカイブ・アライアンスの事務局長となり、さまざまな地域活性化事業に従事。その経験や教訓をもとに自ら作家として自主事業「超低解像度絵画モザイコ」スタート。

 

大垣の企業とのコラボでまちにアートを展開

大垣市の西部、十六町に「株式会社 艶金」という企業があります。
以前、「東海最前線」でも紹介しました。
“もったいない精神”を大切にSDGsで躍進する「艶金」(岐阜県大垣市)

この「艶金」の外壁に描かれた「TSUYAKIN」の文字は、清水温度さんが企画し、「艶金」とのコラボで完成させたテクノ・グラフィティという幾何学アートです。近くを通っている東海道新幹線の車窓からも見ることができます。

「艶金」の外壁に描かれた「TSUYAKIN」の文字

また大垣の中心市外街では、昭和ビルの壁面に描かれた大垣の先賢肖像モザイコアートに驚かされます。昭和ビルは輪之内町の昭和技研株式会社が所有しており、以前から事業で付き合いのあった同社の社長から清水さんに依頼があったもの。描かれている大垣の先賢は、小原鉄心(おはら てっしん)と飯沼慾斎(いいぬま よくさい)。

  ・小原鉄心・・・幕末の大垣藩で藩政の立て直しに功績がった。
          鳥羽・伏見の戦いでは幕府方だった大垣藩が朝敵になるのを防ぐため、
          新政府方につくよう藩論を統一した人物。
  ・飯沼慾斎・・・医師で本草学にも興味を持ち、引退してからは山野で植物採集を行い、
          日本で初めてリンネの植物分類法を用いた植物図鑑『草木図説』を発刊した人物。

昭和ビルに描かれた小原鉄心

 

大手印刷業を退社し故郷・岐阜へUターン

小学校から高校まで、父の仕事の都合で5回の転校をしたという清水さん。1984年に千葉大学工学部工業意匠学科に入学して岐阜を離れ、卒業後は凸版印刷株式会社に入社。アイデアセンターに配属されます。2年目には社内にデザイン室という特殊部隊ができ、メディアセンター事業や「写真150年」記念事業、CG展「Ape Call from Tokyo」などの刺激的な企画に携わりました。

4年後に、社会学者を志して凸版印刷を退社。ある大学院を受験しますが、果たせず、フリーター期間を経て岐阜へUターンします。

「最初はハローワークで見つけたデザイン会社に入りましたが、3カ月で辞めました。その後はインターネットやHP作成の基礎などを学び、フリーランスになってホームページのメンテナンスやチラシの制作、取材などの仕事をしていました。故郷に戻ってきて食べるものと家はある。もう自分でやるしかないと思ったんですね。当時『MACとプリンター、スキャナがあれば仕事ができる』と言われた時期でもあり、とりあえず必要最低限のものだけ買いそろえました。実は、ぼくは岐阜が苦手で絶対に戻ってくるもんかと思っていたんです。でも今では戻ってきてよかったと思っています。岐阜に戻ったからこそ、今の自分があるので。」

学生時代から音楽が好きで「サウンドクリエイト研究会」というサークルに所属し、
シンセサイザーや多重録音に触れていたという清水さん。
(ONDO)というネームも元々は音楽由来だそう。

 

「デジタル・アーカイブ・アライアンス(DAJA)」との出会い

清水さんは受注仕事を受けるかたわら、1日1枚グラフィックの自主制作を約1年間にわたり、続けていました。

ある時、営業先でソフトピアジャパンに「デジタル・アーカイブ・アライアンス(DAJA)」という組織ができることを教えられます。

ソフトピアジャパンとは大垣市加賀野にある岐阜県内のITやIoTに関する支援を行う組織のことで、公益財団法人ソフトピアジャパンが運営しています。周辺のビルにはIT関連企業が入居しています。

「デジタル・アーカイブ・アライアンス」は岐阜県と凸版印刷、NECなどが関わる団体でした。県内外・国内外の博物館や美術館、図書館などに所蔵されている、さまざまな知的資源(主に美術分野の)をデジタル化して保存、蓄積することを目的としていました。デジタル化し商用などに利活用することで、それら作品の保全や関連地域のPRに貢献する。まさに新時代にふさわしい事業だったのです。

ソフトピアジャパンセンター

 

DAJAでの活動

清水さんは、任意団体時代のDAJAの居候となり(後にNPO法人化されてからは事務局長そして代表に就任、2013年にみずから清算。)、1999年8月には岐阜県からイタリアのミラノにある「DOMUS Academy(ドムスアカデミー)」のサマー・セッションに派遣され、現地でプレゼンテーションを行ったところ、好評を博しました。

2000年4月から2年間、国際情報科学技術アカデミー(IAMAS)の奨学生として学び、9月には1カ月間交換留学生として南カリフォルニア大学へ行くなど、ますます国内外を問わない活動を意識するようになります。

DAJAの事務局長となった後は、「京都デジタルアーカイブ研究センター(当時)」訪問を皮切りに先進地域のセミナー、シンポジウムなどをDAJA会員向けに取材。その後、各種助成金を申請し、文化庁「文化芸術による創造のまち」支援事業や、ぎふNPOはつらつファンド助成「デジタルアーカイブを用いた地域ミュージアム振興事業」など、地域の活性化に貢献。画家・熊谷守一(くまがい もりかず)や守屋多々志(もりや ただし)らのデジタルアーカイブに挑戦しました。しかし、美術資源のデジタル化とその利活用は思った以上に困難でした。

「当時全国にデジタルアーカイブ事業を行っている団体がいくつかありましたが、最初に訪問した『京都デジタルアーカイブ研究センター』はとても事業化に熱心で、見習うべきところがたくさんありました。本来、デジタルアーカイブが目指すべき、文化でお金を生み経済を回す団体を目指していたんです。ぼくもそれを意識して仕事していましたが、なかなかうまくいきませんでした。でも、DAJAの事務局長時代に地域を走り回り、イベントを主催したり、顔を出したりしたおかげで地元や人について多くを学べて、次のフェーズに進むことができました。」

 

「超低解像度絵画Mozaiko(モザイコ)」の誕生

2006年、清水さんはDAJAで得た経験や教訓などをもとに自ら作家となり、自主事業「超低解像度絵画Mozaiko(モザイコ)」をスタートさせました。

小片を寄せ集めて埋め込むことで絵や模様を表すアートをモザイクといいます。モザイコはパソコンで原画を作成する際、解像度を極めて粗くし、できるだけ少ないエレメントで絵画を描くというものです。解像度を高めて美しく見せる技術とは真逆のアートでした。

なぜ、「超低解像度」だったのでしょうか。

「ぼくはあまのじゃくなので、人と同じことをするのが嫌。真逆のことをするのが好きなんです。反骨精神というのでしょうか。真逆でも絶対におもしろいものができると思って試行錯誤しました。そうしてできあがったのがモザイコです。」

当初は塗り絵として、岐阜県美術館のミュージアムショップで販売していました。

2009年には名古屋市美術館や東京渋谷のBunkamura、兵庫県立美術館で行われた「だまし絵展」の特設ショップでモザイコを使ったバッグやぬりえ、額装画などを販売したところ、かなりの反響がありました。

2009年には東京ビッグサイトで開催された「東京コンテンツ・マーケット2009」でTCMアワード審査員特別賞を受賞しました。その縁で2010年には、香港や韓国の展示会にも出展しました。

モザイコによる作品(写真:清水温度さん提供)

モザイコを使ったバッグ(写真:清水温度さん提供)

 

「コンフィデンスマンJP」の舞台セットに登場したモザイコ

モザイコのコンテンツビジネスは広がりを見せていきます。

2011年、カタログ通販「ニッセン」春号にてモザイコのメンズTシャツを販売。翌年にはミュージアム・グッズの関連会社などからクリアファイル、リニューアル版ぬりえ、ジクレー版画ほか発売。2013年、2014年、2015年にはBEAMSからモザイコTシャツが発売されました。

清水さんは企業や店舗にもアート作品としてモザイコを納品するようになりました。タイル産地の多治見市とも仕事を通じて行き来するようになりました。

テクスチャード考案後は、画家として、画廊などを通した絵画販売や、その縁で2018年にはフジテレビ系ドラマ「コンフィデンスマンJP」の舞台セットにもモザイコが登場しました(2018年と2020年の映画にも登場)。

こうして清水さんは次第にアーティストとして周知されるようになっていきました。モザイコのモチーフの多くは人物。ダ・ヴィンチの「モナリザ」や江戸時代の写楽の浮世絵など。どこかで目にしたような親しみのある作品。それには「DAJA」で果たせなかった文化資源のデジタル化とその利活用という意図があったからです。

2012年、清水さんはソフトピアジャパンを出て、大垣の公設市場の一角にアトリエを移します。さらに2020年には北方町にある3F建ての空きビルへと、創作の場を展開しています。

北方町にある清水さんのアトリエ。(写真:清水温度さん提供)
「今のアトリエを借りることができたおかげでミュージアムサイズの作品ができるようになりました」

2階が仕事場。3階では趣味の音楽も(写真:清水温度さん提供)

 

文化経済とは、ワクワク感が受け継がれること

清水さんはここまでの自分の歩みを振り返って次のように話してくれました。

「もしDAJAでの活動がうまくいっていたなら、ぼくは作家にはなっていなかったと思います。文化や芸術はそれだけですばらしいですが、ミュージアムグッズや広告などに活用されることでより広く知られ、新たな付加価値が付いたりお金を生み出します。文化は経済的な価値や効果が測りづらいとされていますが、ある絵画や音楽が人々の行動を変え、美術館やコンサートホールに足を運ばせるように、非常に大きな経済効果が期待できます。ぼくたちは作品を通して、要するに、作品を創り出した人やその世界観を見ている。つまり作者のワクワクを追体験しています。作品が鑑賞者の頭の中で解凍されることにより、ワクワク感は人から人へと受け継がれていきます。文化経済とはそういうことだと思います。」

作品制作に取り組む清水温度さん(写真:清水温度さん提供)

 

モザイコからテクスチャードへ 新たなる挑戦

2015年に、清水さんの作品はモザイコからTextured(テクスチャード)へと新たな進化を遂げました。

テクスチャードとは、超低解像度のモザイコの原画をベースに、濃度階調で質感を持たせ、視覚的に錯覚を起こさせるような幾何学パターンをはめ込む具象絵画の手法です。一昨年からは錯覚的なパターンのみの「テクスチャード空間」という作品も制作するようになりました。

モザイコとテクスチャードは、2017年に「超低解像度絵画作成装置及び超低解像度絵画作成方法」として特許として登録され、2020年には米国特許として登録されました。

テクスチャードの解説(図:清水温度さん提供)

テクスチャードの制作(写真:清水温度さん提供)

 

ポップとアートの間で

清水さんは自身のことを「5歳児と同じ」と表現します。それは5歳の子どもと同じくらい好奇心旺盛に、まっすぐ、清水さんも常におもしろいことを探して、それを叶えたいと試行錯誤することを楽しむからでしょう。

作品や活動の幅も、平面から空間表現へと広がりを見せています。昨年から各地のアートフェアにも作品を出展。大垣市文化事業団主催の「それ行けモザイク! 大お絵かき」では、子供向けのワークショップ講師も務めました。

清水さんは、2023年にはレーザー加工機を用いた絵画の制作を開始。新たな絵筆となる技術を採り入れて、モザイコやテクスチャードをさらに発展させようとしています。

最後にHPに掲載されている言葉をお借りして、ポップとアートの間に身を置く清水さんのこれからを見ていきたいと思います。

「人間と機械がつくる質感。ポップでありたいとは願いつつ同時に、アートでありますように。」(清水温度)

(写真:清水温度さん提供)

 

【事業者概要】
「Mozaiko&Textured」
代表者:清水温度
創業:2006年
設立:2006年
所在地:〒501-0431 岐阜県本巣郡北方町北方1522 (Mozaiko&Textured)北方アトリエ
事業内容:絵画制作
連絡先:090-4087-0806
URL:http://www.mozaiko.info/profile/

 

【取材・文】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎