岐阜県関市に移住し、古民家でそばカフェを経営 地域の「もったいない」ものを遺したい(岐阜県関市)
2022.10.12
ここが最前線:地域おこし協力隊を伴走支援、コミュニティビジネスで地域課題の解決に貢献する
【3点要約】
・恵那市岩村町でふるさと活性化協力隊として3年間活動、起業して4年間定住し地域振興に関わる事業を推進
・関市に移住し移築され140年の歴史ある古民家で「コワーキングカフェ そばのカフェおくど」を経営
・「合同会社 地域と協力の向こう側」代表として、行政やNPO、企業などを対象に地域活性化に関するよろず支援や、地域おこし協力隊隊員の伴走支援を行う
「地域おこし協力隊」というのをご存じでしょうか。都市部から少子高齢化や過疎化の著しい農山村地域に移住して地域の活性化に尽力し、地域への定住・定着を図ることで、地域力の向上につなげようという国の取り組みから生まれた制度です。
2009(平成21)年にスタートし、2021(令和3)年度の受け入れ自治体は1085団体。6015名が協力隊として活躍しており、約7割は20代、30代の若者です。
東日本大震災を経て東京から岐阜に移住し、地域おこし協力隊として活動。その後起業した中田さんは、妻のゆう子さんと共に「古民家コワーキングカフェ そばのカフェおくど」を経営。協力隊OBとしての経験を生かし、地域の課題解決に尽力するかたわら、若い隊員達の伴走支援も行い、頼れる兄貴として慕われています。
地方移住が増えている中、地域に根ざしたビジネスをいかにして構築したのか。またそのめざすところを伺いました。
合同会社「地域と協力の向こう側」代表/「そばのカフェおくど」店主/
岐阜県地域おこし協力隊ネットワーク 監事
中田誠志(なかた せいじ)さん
【プロフィール】
中田誠志さん。1977年生まれ。東京都出身。美容師の父について北海道で育ち、千葉で学生生活をおくる。その後、東京へ戻り、社会人としての日々をおくる。2011年に岐阜県岩村町へ移住。地域おこし協力隊を経て独立し、2016年に「合同会社 地域と協力の向こう側」を設立し代表となる。現在は関市に移住し、法人も関市に移転。古民家を改修して「古民家コワーキングカフェ そばのカフェおくど」を営むかたわら、地域活性化に関するよろず支援、地域おこし協力隊隊員の伴走支援を行うなど、多角的なビジネスを展開。パッションフルーツ農園も経営。
地域資源の有効活用 コンセプトは❝もったない❞
関市から金山町に抜ける県道沿いに建つ、築140年以上の古民家をリノベーションした「そばのカフェおくど」。もともと地域の豪農のお屋敷だけあって、歴史と風格が感じられます。座敷のふすまには見事な墨書、そしてシェアオフィスやミーティングなどにも利用できるコワーキングスペース、土間には三つ連なったおくど(かまど)。
中田さん「このお屋敷は明治9年に郡上から移築されたもので、20年以上使われていませんでした。関市の空き家バンクに登録されていたので内覧会に参加し、その後家主さんと個別面談させていただきました。家主さんのご希望は古くても良い所はできるだけ残しながら、そば屋やカフェとして使ってほしい。基礎固定部分の改修については負担してもよいとのことでした。こんなすばらしい地域資源は生かして使わなければもったいない! と手を挙げさせていただきました。その後、『合同会社 地域と協力の向こう側」で綿密な調査を実施。「関市ソーシャルビジネス支援助成」を受け、古民家再生のための道筋を家主さんはじめ地域の方々と共有。高校生によるまちづくりボランティア、事業者の方々の力をお借りして2017年~2018年にかけてリノベーションしました。」
おくどが復活した記念に、この地方に昔から伝わる玉みそづくりなども行い、地方ならではのしきたりや仕事情報などを聞く機会も設けました。また耐久性を高めるため、日本古来の塗料である柿渋塗りも施しました。関市の高校生にも柿渋塗りを体験してもらいました。
部屋の中央にでんと据えられているのは火鉢。ストーブなどのなかった昔は火鉢を囲んで暖をとり、だんらんの場となった。
玉みそづくりをする中田さん。こうして天井からつるし、乾燥させて味噌を熟成させる。
おくどはこの家の心臓部。中田さんがこのお屋敷に惚れ込んだ大きな理由は、
56年間使われていないおくどさんがあったから。重要な部分の修理は専門家に任せたが、
比較的軽微な部分は自分たちで修理した。
昔ながらのお野菜を、できるだけ農薬や化学肥料を使わずに栽培
「そばのカフェおくど」で中田さんが打つおそば、ゆう子さんのつくる丁寧な心のこもったお料理に魅せられ、何度も足を運ぶリピーターも多いそう。見た目にも美しく、心も体も喜ぶメニューです。
中田さん「そばのカフェおくどでは「昔は当たり前だったこと」を意識しながらお料理一つ一つに思いを込め、時間をかけて調理しています。できるだけ固定種や在来種、自家採種で栽培した国産、地元産の野菜を、農薬や化学肥料を使わずに栽培し、添加物や化学調味料はほとんど使用していません。」
石臼挽き手打ちそば。
お昼ごはん、夜ごはん、カフェは完全予約制。9:00~22:00(22:30完全閉店)。
お昼ごはん11:30~13:30、ランチコース2,200円~。夜ごはん18:00~22:00、5,500円~。
地域の特産品・パッションフルーツ農園も経営
中田さんはパッションフルーツの農園も経営しています。パッションフルーツは関市の特産品。花は時計に似ていることからトケイソウと呼ばれ、南米原産。積雪寒冷地帯である関市では専業農家の参入によって、収穫時期を夏だけに限った露地栽培の技術を確立。今では本州最大規模の露地栽培面積を誇るとのこと。
中田さんも時間がある時は畑に出て農作業をします。この日はゆう子さんと、関市にUターンして「そばのカフェおくど」の「コワーキングキッチン 名もなき厨房」でピッツアを作って販売している青年も一緒に作業をしていました。
「そばのカフェおくど」からほど近い場所にある中田さんのパッションフルーツ農園。
取材は9月末だったが、まだ実がなっていた。
都会から自然に恵まれた田舎へ ターニングポイントは「東日本大震災」
自然豊かな北海道で育ち、釣りなどのアウトドアも大好きという中田さん。東京では淡水に棲む観賞魚を扱う仕事をしていました。収入にも恵まれ、充実した生活を送っていましたが、東京の超消費的なサイクルに違和感を感じ始めていました。そんな時に「東日本大震災」が起こったのです。
中田さん「私は車通勤でしたが、1カ月近くガソリンが入れられなかったですね。仕方がないので、自転車で50分くらいかけて通勤していました。食糧も2、3日は手に入りませんでした。そのうち住んでいたマンションの水が汚染されているから水道の水を飲まないでくれと言われたんです。水道水の代わりにペットボトル入りの水が配られました。お金を持ってても買えないんだと思いましたね。」
幸いマンションの一室に備蓄しておいた災害時の食糧が役に立ちました。大震災は図らずも大都市のもろさやリスクを露呈しました。中田さんは自分が育ったような豊かな自然環境の中で子どもを育ててあげたいと思い、以前から移住先についてリサーチをしていましたが、大震災をきっかけに本腰を入れて移住先を探し始めました。
中田さん「水や空気が良い所、そして自分たちで食べ物の作れる所を条件に、いざという時、リスク分散できるよう、農地と家を探しました。そこで岐阜県という選択肢に出会ったのです。県が”清流の国”をアピールしていたし、当時、恵那市が先進的に空き家バンクというものを推進していました。そこで『家と農地のある所で暮らしたい』と相談したところ、市独自の『地域おこし協力隊というものがあるよ』と紹介していただいたのです。」
地域活性化支援や地域おこし協力隊の活動・キャリア支援の事業を開始
こうして中田さんは12年前に恵那市岩村町に家族と共に移住。中田さんは『農村景観日本一を守る会』の中心になって活動しているNPOに勤務し、地域おこし協力隊として農村景観の保全事業のほかに、都市農村交流のコーディネートなどを仕事としていました。
3年間の地域おこし協力隊の任期が終了した後、2014年に独立し、美濃地方の”もったいない”ものを掘り起こして活用する事業を行う「美濃丈(みのたけ)プランニング事務所」を設立。活動するうちに、法人化する必要性を感じるようになりました。
そこで2016年に「合同会社 地域と協力の向こう側」を設立し、代表に就任。行政やNPO、企業などを対象に地域活性化に関する活動のよろず支援、地域おこし協力隊員の受け入れ体制の整備、地域おこし協力隊員の活動やキャリア支援などを手掛けています。美濃丈プランニング事務所の事業も同社が吸収しました。
中田さん「協力隊の時にお付き合いのあった企業や県内外のまちづくり活動団体、観光協会、地域おこし協力隊の相談相手やサポート、県の移住定住コンシェルジュなど、いろいろな方々と仕事をしてきました。東京にいる時よりも数倍大変ですが、地方で暮らしていくうえで、多方面との関わりはとても重要です。」
おくどのある古民家と出会い、新たな活動拠点を求めて関市へ
東濃で活動するうちに、利便性の面からも活動拠点をもう少し県の中央付近に移したいと考えるようになりました。そんな時、目に止まったのが関市が掲げるキャッチコピー”日本のまん真ん中 岐阜のまん真ん中・関”でした。そこで関市についてリサーチを始めたところ、空き家バンクに登録されていた古民家に出会ったのです。それが”おくど”でした。
中田さん「地方の”もったいない”ものを再生するというミッションで動いているものですから、放置されていた古民家を見て、本当に「もったいないな」と思ったんです。最初は関と恵那を行ったり来たりしながらどうやって再生しようかと考えていましたが、ここは腰を据えてやろうと思い、2018年に関市に引っ越し、法人も移転しました。」
関市への移住の決め手となったのは、この古民家におくどがあったことでした。
中田さん「いろいろな文献を調べているうちに、”囲炉裏は家を守る。かまどは人を守る”という言葉に出会ったんです。囲炉裏では大人数の料理ができないので、かまどに移行していくんですよ。大きなおかまで何十人もの料理を作ったりとか。家と土地を守るより人を守りたいという自分の原点にここがピッタリ来たんですね。」
リノベーションについてもかまどの火を囲みながら、お互いに意見をすりあわせていったそう。まさにかまどの火が持ち主さんと中田さんたちを結び付けたのでした。
中田さん「『そばのカフェおくど』ではかまどでご飯を炊く体験を年に何回も開催しています。小中学生から大学生までいろいろ来ますよ。今、かまどが家にある子どもなんていないですから。マッチをすることのできない子どももたくさんいます。大学生がマッチでの擦り方をYouTubeで覚えてましたから。」
おくどを使っての体験にはいろいろな学びがあるようです。
合言葉は”ほぼ”そのまま 現代の若者に刺さる言葉で、伝統文化を伝える
岐阜県に根を下ろして12年、行政と地域の間で仕事をしてきた中田さんは、現状をどのように捉えているのでしょうか。
中田さん「全体的に感じるのは危機感があまりないということ。少子高齢化はまちがいないわけですから、”もったいないもの”を遺すには地域と行政、そして外部から来た協力隊との連携や意見のすり合わせが必要ですが、それを考える土台や基盤がすごく脆弱ではないかと思います。”もったいない”を継続するための物差しが既存のものしかないことも課題の一つだと思います。既存の価値観以外のものも大事に見ないと、目に見えないものの保存や継続は難しいんじゃないかなと思うのです。」
今後は、地方で生きる人たちと共にありたいと願う中田さん。そのためには、昭和一桁世代から教えてもらいたいことがたくさんあると言います。
中田さん「その世代の方々のおっしゃることは、とても理にかなっています。例えば玉味噌づくりとかお茶づくりとか…それらをうちの会社に伝えていただき、デザインやパッケージをちょっと変えることで、現代の子どもたちに響くものがたくさんあります。」
「地域と協力の向こう側」の合言葉は”ほぼ”そのまま。”ほぼ”は何もかもそのままということではなく、現代の若い人たちに伝わるように少し変えさせていただくという意味を含んでいます。若い人たちにわかりやすく伝えていくには、現代風のアレンジも必要です。
柔軟に、しかし、大地にしっかりと根を張った確かな視点で、中田さんは未来を見つめています。
中田さんが取り組んでいる、地方の”もったいない”を生かして残すためのビジネスの視点と手法は、これからますます必要とされるのではないでしょうか。
【取材対象者】
中田誠志さん
合同会社 地域と協力の向こう側 代表
https://www.soba-okudo.com/
【取材・文・撮影】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎