江戸時代から続く老舗旅館の再生プロジェクト(千歳楼 養老郡養老町)
2025.06.04

【ここが最前線】 全国古民家再生協会の協力やクラウドファンディングなどを活用して、「千歳楼」の原点である薬草風呂を復活、大正、昭和初期の貴重な建物を改修
名水で知られる養老の滝や菊水泉にほど近い「千歳楼(せんざいろう)」は江戸時代の創業と伝えられる老舗旅館。その歴史は養老公園とともにあるといっても過言ではありません。6代目の吉岡洋さんと妻の文恵さんは、老朽化した千歳楼の建物を再生させるプロジェクトに着手。全国古民家再生協会の協力や、クラウドファンディングなどを活用して、千歳楼を“歴史と文学の香る高級な宿”として再生しつつあります。吉岡洋さんご夫妻に旅館継続に向けての取り組みと、千歳楼のこれからについてうかがいました。
ご主人の吉岡洋さんと妻の文恵さん
養老公園の豊かな自然に恵まれた千歳楼
養老公園の入口にある駐車場に車を置き、園内を流れる滝谷川に沿って30分ほど歩いて行くと、養老の滝に着きます。初夏だというのに冷気が漂い、どうどうと流れ落ちる滝の音が辺りに響き渡ります。
行きはひたすら登坂で滝に近づけば近づくほど森は深くなり、川には大きな岩が転がっているなど深山幽谷の感が増してきます。公園として整備される以前、滝を訪れるのはさぞ大変だったことでしょう。
千歳楼は養老の滝よりも500mほど下の見晴らしの良い丘陵地にあり、近くには養老神社や名水で知られる菊水泉があります。
吉岡洋さん「養老は水がたいへんきれいでおいしい所です。水がお酒に変わったという伝説は有名ですが、実はその水が、養老の滝の水なのか、菊水泉の水なのかは江戸時代から論争が続いていていまだ結論は出ていません。養老の滝は『日本の滝百選』に、菊水泉は養老神社の境内にあって『名水百選』に選ばれています」
千歳楼の敷地内には不老ヶ池があり、6月にはホタルが飛び交うのを見ることができるそうです。また、ハリヨと呼ばれるトゲウオ科の淡水魚が生息しています。ハリヨは水がきれいで年間通して水温が15℃前後の湧水(湧き水)地帯にしか生息することができません。現在、全国でも滋賀県と岐阜県西濃地方の一部にしかおらず、絶滅危惧種に選定されています。
野性味あふれる養老の滝は落差約32m、幅約4m。葛飾北斎や歌川広重も描いている。
千歳楼の近くにある元正天皇行幸遺跡。
奈良時代、元正天皇が養老に行幸され、養老の美泉をご覧になって、
「こんな美泉が出現したのは天下にめでたいことが現れる兆しであるから
『美泉は以て老を養うべし』と元号を養老にあらためられた」と『続日本紀』にある。
千歳楼の敷地内にある不老ヶ池
日本画の大家・竹内栖鳳がデザインした「袖の間」
千歳楼の玄関の外壁にはべんがらを塗った創建当時の面影が残り、向かって右側に昭和初期に建てられた流芳閣、大正時代に建てられた栖鳳(せいほう)閣が続きます。左側には本館。その一番左端には復刻された薬草風呂があります。
現在宿泊できるのは、「翆(みどり)の間」、「藤の間」、「桜の間」、「竹の間」、「楓の間」、「袖の間」、「松の間」の7部屋で、それぞれにいわれがあります。
中でも栖鳳閣にある「袖の間」は明治から大正、昭和と京都画壇で活躍した日本画の大家・竹内栖鳳がデザインした部屋。十帖の和室で天井の高さは約3m。ガラスの障子にガラスの入った欄間としゃれた造りで、腰板付きの障子に土壁の一種で非常に高い技術を必要とするじゅらく塗りという日本文化の粋を凝らした風格のある和室です。天井には竹内栖鳳筆と伝えられる絹本絵画があり、縁側は卍くずしと呼ばれるモダンなデザインの欄間がはめ込まれています。
竹内栖鳳デザインの「袖の間」
千歳楼の玄関の前に立つご主人と女将さん。
べんがらに塗られた壁が温かさを醸し出している。べんがらとは酸化鉄を主成分とする
酸化鉄のことで、古代から建築塗料や染色などさまざまに利用されてきた。
防腐剤や魔除けの意味もあるようだ。「千歳楼」の文字は書家・日下部鳴鶴の筆。
千歳楼には著名人が書いた書幅がたくさん残されている。
レトロモダンな「千歳楼」のロビー外観。ここも外壁にべんがらが使われている。
千歳楼に宿泊した人々
千歳楼にはどんな人々が宿泊、あるいは休息したのでしょうか。吉岡さんご夫妻にうかがいました。
吉岡洋さん「明治43年には当時皇太子であった大正天皇がお泊りになられました。ついで有栖川宮様や高松宮様、三条実美(さねとみ)公などがご宿泊、ご休息されました。」
吉岡文恵さん「袖の間をデザインされた竹内栖鳳さん、そのほか幕末の剣豪・山岡鉄舟さん、日本画家・横山大観さん、書家・日下部鳴鶴さん、文豪・谷崎潤一郎さん、佐藤春夫さん、水上勉さん、白洲正子さん、詩人の北原白秋さん、そしてアーティストで養老天命反転地の構想を練られた荒川修作さんなどのお名前があります」
吉岡洋さん「昨年は大塩平八郎が日本画家の田能村直入(たのむら ちょくにゅう)と共に養老を訪れ、千歳楼に宿泊したことがわかりました。田能村が描いた水墨画に養老の滝や千歳楼が描かれていたのです。二人は湯の山温泉を訪問した帰りに養老に立ち寄ったようです」
田能村が養老の滝を描いたのが1834年と考えられており、これより3年後に大塩平八郎は幕府に対して反乱を起こしています。養老で大塩は何を見、何を感じたのでしょうか。それを考えると感慨深いですね。
有栖川宮幟仁親王の筆(2階大広間の書)
写真は『千歳楼』提供
歴史と文学の宿『千歳楼』は薬草風呂で始まった
多くの著名人に愛された千歳楼は、いったいどのようにして生まれたのでしょうか。その歴史を紐解いてみました。
千歳楼の生みの親は、髙田の町(現在の養老町髙田地区)で紙問屋を営んでいた岡本喜十郎という人物です。喜十郎は養老の観光開発に熱い思いを抱き、養老の史跡を広く世の中に紹介することは地域経済の振興にも役立ち、産業の交流に寄与すると考えたのでした。
そして養老の山中奥深く、1棟の家を建てました。天皇が養老に行幸され千年になるということでこの建物を「千歳楼」と名付けました。それが1764年(宝暦年間)で、千歳楼創業の年とされています。
吉岡洋さん「喜十郎は霊水を求めて養老にやって来る人々を癒したいと、薬湯事業を思いつきました。ところが親戚や友人、知人は大反対。当時は現在のように散策路も整備されておらず、喜十郎の計画の実現は無謀で大変難しいと考えられたのです」
しかし、喜十郎は並々ならぬ熱意をもって周囲の反対を退け、薬湯に適した土地を探し、現地の役人と交渉。1770(明和7)年、とうとう養老の滝の水と菊水泉の両方の水を引いて、薬湯の建設に着手。1771(明和8)年、薬湯事業を開始したのです。
ところが事業は思い通りに進まず、喜十郎は失意のうちに病死。彼の事業は2代目岡本喜十郎に引き継がれました。
吉岡洋さん「2代目喜十郎は経営の合理化をはかって薬湯場を廃止。住居である千歳楼に浴場を新設します。そして伊吹山から取り寄せた薬草を使って薬草湯を沸かし、養老観光に訪れた人々をもてなしました。また薬草から散薬を製造してほしいという人々に分け与えたのです。そのおかげで次第に薬湯の利用者が増え、薬草からつくった薬の評判もよく、経営は上向きになっていきました」
しかし、4代目喜十郎の時に再び経営難となり、薬湯の経営事業は株式組織に改められ、岡本喜十郎に代わって日比四郎三郎が大株主となって「千歳楼」の経営者になりました。
養老公園開設と「千歳楼」の変遷
吉岡文恵さん「岡本喜十郎が手がけた薬草場はうまくいきませんでしたが、結果的に養老の観光発展に寄与しました。明治12(1879)年、当時、大蔵卿だった松方正義が勧業普及の目的で養老を訪れました。千歳楼でおもてなしをしましたが、旅館といっても粗末な建物で設備なども整っておらず、偉い方々をお迎えしての接待はたいへん苦労したようです。松方卿は岐阜県令の小崎利準らを伴って養老に来られ、千歳楼に郡内の有力者を集められました。そこで松方卿が小崎県令に、『養老は歴史的にも景勝的にも優れた所だから、ぜひ立派な公園を造成するように』と仰ったそうです。こうして地元の名士たちが『偕楽社』を設立し、明治13(1880)年、養老公園が開園しました」
養老公園は明治政府が造成した公園として、岐阜県内では3番目になります。養老公園開設に合わせて老朽化していた千歳楼の復興も計画され、75人から約3,000円の寄付が集まり、明治13(1880)年、現在の場所に千歳楼が建てられました。そして、経営は偕楽社に引き継がれましたが、大正時代には岐阜県に移管されました。
吉岡洋さん「岐阜県は大垣城の城壁の中にあった料亭『吉岡楼』を営む吉岡松太郎に千歳楼の修繕と経営を依頼します。吉岡松太郎は私のひいおじいさんにあたります。ひいおじいさんは建物の修繕を行うとともに、大正時代には本館横に栖鳳閣を、昭和の始めに本館と栖鳳閣を結び付ける形で流芳閣を建てました。養老鉄道の養老駅の駅舎で「千歳」という店を出していたこともありましたね。大垣の『吉岡楼』は戦災で焼失しました」
「千歳楼」の建物を登録有形文化財に
昭和40年代は地方都市でも花柳界が盛んで、高田の町にも芸妓さんを抱えている置屋が6軒あったといいます。芸妓さんたちは養老公園の料理屋や旅館に出向くことが多く、千歳楼も会社の接待などに利用され、大変にぎわっていました。しかし、社会情勢の変化などで花柳界も衰退し、接待なども減っていきました。
吉岡文恵さん「私は平成6(1994)年に栃木県の宇都宮から嫁いできましたが、その頃はまだ接待も多く、大変忙しかったことを覚えています。お客様も男性が主体でしたね。それがある時、ぴたっとなくなったんです」
吉岡洋さん「あの頃は接待と宿泊の割合が7:3ぐらいでしたね。しかし、その接待がなくなってしまったので、旅行会社に斡旋を頼みましたが、『部屋に鍵はあるか』『大きなお風呂はあるか』などと聞かれ、条件を満たしていないと宿泊プランにも入れてもらえず、売るのが難しいといわれました」
千歳楼にとって苦難の日々が続きました。それでもインターネットの普及により、千歳楼の建物がネットで公開されるようになると、レトロな建築に興味のある観光客が少しずつ増えてきました。しかし、明治・大正・昭和と風雪に耐えて来た建物は老朽化し、修繕が追いつかなくなっていました。
吉岡洋さん「建物の傷みが激しく、7部屋ある客室のうち、雨漏りなどのためにお泊りいただくことができない部屋もあり、3~4部屋で営業していました」
なんとしても先祖から受け継いだ千歳楼の建物を後世に遺したいと、吉岡さん夫妻は養老町に相談しました。
吉岡文恵さん「ちょうどその頃、養老町は平成29(2017)年の「養老改元1300年祭」を控えており、文化庁の方が視察に来られたのです。ようやく養老の歴史にスポットが当たるようになり、千歳楼は『養老の宝物46選』に選ばれました」
平成26(2014)年、千歳楼は国の登録有形文化財(建造物)として登録されました。
吉岡洋さん「実は千歳楼の建物は大正以来、岐阜県の所有になっていたので、修繕するのも大変でした。それがようやく私たちの手に戻って来たので、登録有形文化財への登録が可能になったという経緯があります」
登録有形文化財とは、所有者が自ら申請することで登録される有形の文化財で、建造物と美術工芸品の2分野があり、登録されると保存や活用に補助金が受けられるなどの優遇措置があります。建造物の場合は、カフェやレストラン、旅館などに活用することもできます。
クラウドファンディングで薬草風呂を復活
吉岡夫妻にとって、もう一つ嬉しい出会いがありました。それは「一般社団法人 全国古民家再生協会」のメンバーで、養老町在住の堀行夫さんたちが千歳楼の文化的価値に目を留め、再生に協力してくれることになったのです。
吉岡洋さん「千歳楼の再生プロジェクトを推進するにあたり、『全国古民家再生協会』から紹介された岩下裕志さんという方が『株式会社養老』を設立され、千歳楼のオーナーになってくださったのです。岩下さん自身も『全国古民家再生協会』のメンバーで、『一般社団法人古民家活用推進協会』を立ち上げられた方です。そして私たちは今まで通り、千歳楼の主人と女将としてお客様をおもてなしさせていただくことになりました。岩下さんとの出会いはまさに運命の出会いでしたね」
「古民家活用推進協議会」は古民家の利活用をより幅広く推進することを目的とした団体で、岩下さん自身も琵琶湖の近くの古民家を購入し、民泊施設を経営しています。
千歳楼全体を再生するには、総額約1億5千万円の資金が必要でした。一度に多額の資金を集めることは難しいため、第一段階として、千歳楼の創始者である岡本喜十郎が考案したという「薬草風呂」の復活に向けて、2020年にクラウドファンディングをスタート。200人以上から約500万円の資金を得ることができ、2021年に薬草風呂が完成しました。伊吹山の麓で栽培された薬草を用いており、浴槽のヒノキと薬草の香りの組み合わせが好評を博しています。
薬草風呂。養老の滝が見えたと伝えられる月見台があった場所に男女別に設けられた。写真は『千歳楼』提供
末永く、養老の地で人々に愛される旅館として
千歳楼再生プロジェクトは、ロビー、厨房、大広間、共同トイレの改修と少しずつ工事を進めました。
2023年には、千歳楼の茶室を改装して、「別邸古民家」として貸し切り宿泊の営業を開始しました。簡易キッチンや調理器具・食器、シャワーなどを備えています。養老町のテレワーク施設「YOROffice」が行う「お試し移住」の宿泊先としても利用されています。
2024年には、最も格調高い奥座敷の「松の間」にお風呂やトイレを設置する工事費用の一部をねん出するため、2024年に再びクラウドファンディングを実施。90人から目標額の200万円を上回る300万円超の資金を調達することができました。
吉岡夫妻をはじめとする千歳楼再生プロジェクトは現在も一丸となって、千歳楼を後世に残すための改修に取り組んでいます。
その昔、元正天皇や聖武天皇も訪れた養老の地で200年以上の歴史を紡いできた千歳楼。その建物をなんとしても次の世代に引き継ぎ、その文化や雰囲気をいろいろな人に味わってほしいという吉岡夫妻の願いは、プロジェクトを立ち上げた時から一貫しています。
歴史ある建物がまとう文化の香り、またそこに宿泊した多くの貴人、文人たちの思い出とともに、千歳楼は末永く養老の地で人々に愛され続けることでしょう。
ご主人の吉岡洋さんと妻の文恵さん 「千歳楼」のロビーにて
【施設概要】
千歳楼
住所:岐阜県養老郡養老町養老公園1076
TEL:0584-32-1118(受付時間:9:00∼21:00)
URL:https://senzairou.com/
【取材・文】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎