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東海最前線

“もったいない精神”を大切にSDGsで躍進する「艶金」(岐阜県大垣市) 

取材させていただいた「株式会社艶金」代表取締役社長の墨勇志(すみ ゆうじ)さん
取材させていただいた「株式会社艶金」代表取締役社長の墨勇志(すみ ゆうじ)さん

【ここが最前線】食べ物や植物を加工した後に出る残渣などを使って染める「のこり染」でSDGsを実践

かつて、日本人にとっては当たり前のことだった“もったいない”という美徳。高度経済成長とともに次第に忘れ去られ、いつのまにか“消費”が“もったいない”に取って代わり、使い捨てが当たり前の世の中になりました。

しかし、2016年に国連が「持続可能な開発目標(SDGS)」を掲げ、世界から貧困をなくし、地球環境の保護と世界中の人々に平和と豊かさをもたらすことを呼びかけるようになって、流れが変わりつつあります。

大垣市に本社のある「株式会社艶金(つやきん)」では、本来の染色整理の仕事に加え、10年以上前に食品加工などで出た植物食品の残りの物を使って布を染めることで、「KURAKIN」と呼ばれるサスティナブルなオリジナル雑貨ブランドを立ち上げました。2020年12月には農林水産省協賛の「食品産業もったいない大賞」で、「審査委員会審査委員長賞」を受賞しています。

創業以来の歴史とともに、躍進する「艶金」の今にフォーカスしました。

 

外壁に描かれた「Tsuyakin」のテクノ・アートに注目せよ

「株式会社艶金」は濃尾平野の西端・大垣市十六町の郊外にあります。
近くを東海道新幹線が通っており、その車窓からも会社の外壁にローマ字で
「Tsuyakin」という社名の書かれた、
テクノ・グラフィティという幾何学アートを見ることができます。

“複数のものがつなぎ合わさって、この全体のデザインができたように、
私たちの会社も1人ひとりの社員、そしてその社員たちが織りなすそれぞれの仕事、
また大垣の水資源などの環境、そんなものが全て1つにつながり合わさって、
今の艶金ができている。(「艶金」ホームページ ブログより転載)”

そんな願いが込められているのだそう。

「艶金」の外壁に社員全員によって描かれたテクノ・グラフィティ。岐阜県在住のアーティスト・清水温度さんによるデザイン。

 

創業130年、「艶金」がたどった歴史を紐解く

ポップなイメージの「艶金」ですが、その歴史は1889(明治22)年にまで遡ります。

墨勇志さん)「2019年に創業130年を迎えました。
     発祥は愛知県の尾西市で、創業者は墨宇吉(すみ うきち)といいます。
     2010(平成22)年に私が親会社である『艶金興業株式会社』から資本的に
     独立し『株式会社艶金』として、日本毛織株式会社と業務提携しました。」

愛知県尾西市で創業した会社がなぜ、岐阜県大垣市に来ることになったのでしょうか。
そこには染色に携わる会社ならではの理由がありました。
まずはその歴史をたどってみましょう。

 

染色整理の仕事で「尾州ウール」を毛織物業界のトップブランドに

「尾州(びしゅう)ウール」という言葉を聞いたことはないでしょうか。

尾州とは愛知県西部の一宮市・稲沢市・津島市・江南市・名古屋市と
岐阜県羽島市にまたがる地域をいい、
国内最大級のウール(羊毛による毛織物)の生産地でもあります。
その歴史は比較的新しく、日本でウールが生産されるようになったのは
明治時代以降です。

明治時代になって生活様式の近代化が進む中、風俗が欧米化し、
着物ではなく洋服着用の機会も増えたことから、毛織物の需要が増大しました。
日本政府は最初はすべて外国からの輸入に頼っていましたが、
やがて羊毛を輸入して国内自給生産を目指すようになりました。

明治時代より前は、尾州では綿や麻の織物生産が盛んに行われており、
尾州の綿織物は明治17(1884)年には全国2位の生産量を誇っていました。
しかし、同24(1891)年に起こった濃尾大震災で大打撃を受け、
簡単には立ち直れないほどでした。しかも、インドから安い綿花が
輸入されるようになり、尾州の綿織物業は衰退していきました。

そこで「綿織物に代わる産業を」との機運が高まり、
尾州でもセルやモスリンといった毛織物の生産が試みられるようになりました。
津島市の片岡春吉は同地方の毛織物産業の先駆者であり、
海外から織機を輸入するなどして生産を拡大しました。

しかし、当時の尾州には専用の整理業者がいませんでした。
そこで、「艶金」の2代目にあたる墨清太郎(すみ せいたろう)が
綿織物の整理業者であった経験を生かし、毛織物の世界に進出。
尾州地方の毛織物を一流の商品に仕上げていったのです。

創業者・墨宇吉(すみ うきち)像(郷土にかがやく人々』下巻 愛知県教育振興会発行 「株式会社艶金」所蔵)

 

生地をたたいて、伸ばして、艶を出し、品位を高める「染色整理」

染色整理とはどんな仕事をいうのでしょうか。

墨さん)「生地を水洗いして干すと、バリバリになりますよね。
     これを大きな石臼の上に並べて、二人の人間が代わる代わる
     砧(きぬた)と呼ばれる木づちで叩くことで生地が柔らかくなり、
     着心地がよくなるんです。この仕事を整理と呼びます。

     織ったばかりの生地はバリバリで、そのままでは使い物に
     なりませんでしたから。毛織物は叩くことで艶が出るので、
     整理の仕事をする職人は『艶屋』とも呼ばれていました。」

整理は生地の品位を高める、とても重要な仕事だったのです。
初代の宇吉は通称“金兵衛”と呼ばれており、それが「艶金」という屋号の
起こりになりました。2代目・清太郎の時代には手作業だった整理の仕事も
次第に機械化されていったようです。

1924(大正13)年には、「艶金興業株式会社」として法人化。
順調に業績を伸ばし、1946(昭和21)年、1955(昭和30)年には
昭和天皇、平成天皇(当時は皇太子)が行幸。
1956(昭和31)年には、愛知県一宮市に「艶金化学繊維株式会社」を設立しました。

布を砧(きぬた)で叩いて艶を出しているところ(『郷土にかがやく人々』下巻 愛知県教育振興会発行 株式会社艶金 所蔵)
昭和天皇がお座りになった椅子(株式会社艶金 所蔵)

 

地下水の汲み上げ過ぎで地盤沈下が問題に 地下水豊富な大垣市に工場造成

ところが昭和30年代、高度経済成長が進むにつれ、
全国各地で地下水の汲み上げ過ぎによる地盤沈下が問題になり始めたのです。
一宮市も例外ではありませんでした。
結果的に地下水の汲み上げ規制が行われるようになり、
代替用として河川の水が工業用水として整備されていきました。

一宮市から西に20kmのところにある大垣市は、
昔から良質の水が豊富なことで知られていました。

墨さん)「染色という仕事は水を大量に使います。
     そこで、工場を大垣に造ってはどうかという意見が出たのです」

こうして、地下水が豊富で工業用水整備の計画がなかった大垣市に、
「艶金化学繊維株式会社」の工場が造成されます。1971(昭和46)年のことでした。

 

“もったいない”から生まれた、のこり染ブランド「KURAKIN」

しかし、ほどなく繊維産業は安価な海外製品に押されて需要が大きく減退します。
仕事が減少したため、「艶金」も事業を大幅に縮小せざるを得ませんでした。
1980(昭和55)年には「艶金化学繊維」の生産拠点を、大垣に集約することとなります。

墨さん)「安価な海外製の繊維によって、消費者は安くて良い服が買えるように
     なりました。でも、洋服の価値は下がりました。飽きたらすぐに捨てて、
     新しい服を買い直す人も増えました。飽きたらすぐに捨てて新しい
     洋服を購入する。とても、もったいないです。なんとか自分たちの会社から、
     この思いを形にして発信できないかと考えるようになりました。」

その矢先、「岐阜県産業技術総合センター」より「艶金」に、
食品会社で使い終わった余剰物を色素に再利用できないかという共同研究を
依頼されました。最初はピーナッツの渋皮が素材でした。
たまたま同センターにいた草木染の好きなスタッフが、
実験的にピーナッツの渋皮で生地を染めたところ、
「とてもきれいな茶色に染まった」と見せてくれたのです。

これをヒントにのこり染ブランド「KURAKIN」が誕生し、
2011年にKURAKIN事業部を設立しました。

墨さん)「『KURAKIN』は食品加工などに使った植物食品の残りを使って
     染色することから生まれたブランドです。

     しかし、商品として世に出すにはいくつかの超えなければいけない
     ハードルがありました。
     どの会社から、どのような食品剰余物を仕入れることができるか。
     その食品剰余物からどうしたら色をしっかりと定着させることができるか。
     当社の熟練の染色職人や岐阜県産業技術総合センターのスタッフなどの
     知恵を借りながら何度もテストし、検討を重ねました。

     最初は必要最低限の化学染料や薬品を使っていましたすが、
     そのうち薬品などを使わず、天然色素だけでできないか
     という問い合わせを多くいただくようになりました。」

約1年試行錯誤を重ねた結果、「艶金」では化学染料を一切使わない、
4色限定(あずき・ひわだ・えごま・ほうれんそう)の
「のこり染プレミアム」を開発しました。
現在「のこり染」には全部で12(4色含む)のカラーがあり、
どれも大地の力強さを秘めた、柔らかくて優しい風合いが魅力の商品です。

 

アップサイクルブランド「retricot(リトリコ)」で、生地を再利用して製品化

2020年、新型コロナウイルス感染拡大という思いもかけない災害によって、
私たちは自粛生活を余儀なくされました。家庭にいる時間が増えたことで、
より楽しく自分らしく過ごせるようにとの願いを込めて、
「艶金」では癒しとリラクゼーションをテーマにした「retricot」という
テキスタイルブランドを新たに立ち上げました。

墨さん)「『retricot』では会社に眠っている白生地や在庫の生地を
     衣料品として再利用しています。本来ならば捨てられるはずのもの、
     不要だと思われてきたものを、新しくデザインやアイデアを
     取り入れることで製品化して市場に出せるようにする
     アップサイクルブランドとして開発しました。
     一部にのこり染カラーを使っています。」

「retricot」は現在、大垣市ふるさと納税返礼品や、ネットショップ「BASE」などで、
「KURAKIN」は、ネットショップ「BASE」のほか、
JR岐阜駅に隣接する「アクティブG」の県産品ショップ「THE GIFTS SHOP」などでも
一部が販売されており、OEMや企業のノベルティとしても利用されています。

 

“made in Japan”とCO2削減にこだわって、ファッション産業をけん引

昨今、繊維産業においてもSDGsが呼びかけられるようになりました。

墨さん)「2021年、環境省が『SUSTAINABLE FASHION』という
     ファッション産業に特化したホームページを立ち上げました。
     実はファッションに関わる産業の中でも、特に繊維業はたいへん
     環境負荷の大きい産業であると言われています。

     中でも染色整理業は大量の水の中に生地を入れて染めるわけですから、
     お湯を湧かすために大きな熱源を必要とし、その過程でCO2が発生します。
     染色というのはCO2をいっぱい出す工程なんですね。
     ですから、なるべくCO2を出さないように心掛けなければなりません。
     また、衣類の需要と供給のバランスも崩れています。

     1990年と比べると衣類の購入量は横ばいですが、
     供給量は1.7倍に増えています。
     当然、毎年大量の売れ残りが出るはずですが、
     これまであまり、問題にされませんでした。
     しかし、近年SDGsが強く呼びかけられるようになったことで、
     その実態が少しずつ明らかになってきました。

     将来的にCO2削減への取り組みが会社としての価値を高めることに
     つながるでしょうし、消費者の側からすると、
     生産過程でCO2をあまり出さない洋服を購入することが
     ステイタスになる可能性は高いと思われます。

     変化には時間が必要だと思いますが、少しでもそうなれば、
     落ち込んでいる洋服の国内自給率も上がるでしょうし、
     国内産業も潤います。」

染色整理の仕事に始まり、現在はオリジナルテキスタイルの企画・開発・製造など
幅広く事業展開する「艶金」。その根底には「KURAKIN」や「retricot」を
立ち上げたのと同様に、長年ファッション産業に従事してきた企業としての
強い責任感と、将来に対する確かな展望があります。

工場で布を染めている様子。ドラム式のタンクに巻いて回転させながら染める。この時タンク内の温度は90度以上になる。
色とりどりの布が広がり、風圧で染めた布を乾燥させているセクション。

 

【会社概要】
株式会社艶金(かぶしきがいしゃ つやきん)
設立:1956(昭和31)年8月18日
資本金:9,000万円
URL:https://www.tsuyakin.co.jp/retricot (リトリコ)  https://retricot-jp.com/KURAKIN(クラキン)http://kurakin-jp.com/事業内容:ファッション衣料向けニット(丸編、トリコット)・織物などの染色整理加工
     ファッション衣料向け生地企画製造販売・布地産業資材・
     雑貨小物等縫製品企画製造販売
代表者:代表取締役社長  墨勇志(すみ ゆうじ)
所在地:〒503-0995 岐阜県大垣市十六町字高畑1050
TEL:0584-92-1821   
FAX:0584-92-1825 
E-mail:u00sm@tsuyakin.co.jp

 

【取材・文・撮影】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまで
ライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘り
することで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎  https://satoyamakikakunanohanasha2020.jimdofree.com/