東海地方発、世の中にインパクトを与える企業・団体・個人の最前線の情報を届けます。

東海最前線

日本刀の構造から着想を得たデザイン、関孫六ブランド最高峰の家庭用包丁「要」を発売(貝印・岐阜県関市)

【ここが最前線】日本刀の構造から着想を得たデザイン、国内トップシェアの家庭用包丁ブランド「関孫六」シリーズの最高峰

岐阜県関市といえば、ドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドと並ぶ世界三大刃物産地の一つです。1908年、関市に生まれた貝印は、包丁や剃刀に代表される総合刃物メーカーとして国内2ヶ所-東京と関-にそれぞれ販売と製造の拠点を置き、今年で創業114年を迎えました。

数ある貝印ブランドの中でも、刀工として名高い関孫六の業と心を受け継いだ「関孫六」シリーズは、国内家庭用包丁ではトップシェアを誇っています。

このたび新たにシリーズ最高峰となる新商品「関孫六 要」が発売されました。貝印主催のプレスツアーに参加しました。

刃物の町・関の歴史と伝統をバックボーンにした貝印の刃物づくりに対する信念とこだわり、また常に進化し続ける技術力をご紹介します。

 

貝印インダストリー株式会社 関小屋名第一工場
建屋の正面についているのは、社員の間では通称エッジマークと呼ばれている
「KAI」のロゴマーク。(写真提供:貝印PR事務局、以下同)

新発売の「関孫六 要」

 

ポケットナイフの製造から国内有数の総合刃物メーカーへ

「貝印」の創業者は遠藤斉治朗。1908年、彼は合資会社遠藤刃物製作所を設立し、ポケットナイフの製造を始めました。1932年には関安全剃刀製造合資会社となり、日本初の国産剃刀替刃の製造をスタートさせます。その後も事業の発展に伴い何度か名称変更・組織を改編。1971年には包丁、続いてハサミの生産を始め、1984年には医療用メスの製造を開始。海外における拠点も増えてきたことから、1988年には生産と販売が一体となった新生カイグループとして、新たなスタートを切ったのです。

カイグループのカイとは、昔、貝が刃物として使われていたこと、貝は英語ではSHELLですが、その発音が2代目社長の幼い頃の名前(繁 しげる)に通じるなど、いくつか由来があります。

「貝印」の製造拠点である「カイインダストリーズ株式会社」の本社は関市小屋名にあり、小屋名第一工場は同社に併設されている最大規模の工場です。

ここではポケットナイフに始まる、114年間の「貝印」の歴史を見ることができます。

初期の頃、生産していたポケットナイフ クラシックなデザインがとても美しい

貝印の剃刀

名工の伝統と業を引き継ぐ包丁の数々

医療用のメス

 

家庭用包丁の国内最大シェアを誇る「関孫六」シリーズ最高峰「関孫六 要」の生産現場

 今回ご紹介する包丁「関孫六 要」は、関市を流れる清流・長良川のさらに上流の郡上市大和町剣にある「カイインダストリーズ」の大和剣工場で生産されています。

同工場は1974年に竣工。日本の刃物を作るのにふさわしい名前を意識して、この地に工場建設が決まったとのこと。「関孫六」ブランドとしてはすでに40年以上の歴史があり、1200種類もの製品がラインナップされています。

1977年、「貝印」では初の海外現地法人をアメリカのオレゴン州・ポートランドに設立し、海外での事業展開を本格化。今では売り上げの半分は海外市場とのこと。2005年にはミシュランの三ツ星シェフと共に共同開発した「Michel BRAS」包丁シリーズを欧米で発売しました。そして2008年の創業100周年を機に、包丁ブランドを「関孫六」に集約したのです。

包丁づくりの現場では女性も多く働いている。

「関孫六 要」の開発担当者と工場長から説明を聞きました。

  「刀の先端部分は和包丁をルーツとする切付形状を採用し、剣型の刃先は肉の筋切りやニンジンの飾り切りなど繊細な作業がしやすくなっています。」

  「包丁は一般的に反りのないものがほとんどですが、「要」は日本刀の鳥居反りを参考にした反りが入っています。鳥居反りとは反りの中心が刀の中ほどにあり、鳥居の最上部に位置する材の形状にちなんだものです。反りを入れることで、対象物により効率的に力を加えることができる構造になっています。ここから着想を得て「要」を設計しました。」

  「持ち手は職人が手作業で1本ずつ削って作られた八角柄となっており、男性でも握りやすく、なじみやすい形状になっています。」

  「日本刀のような刃文が鮮やかに浮き出ているのも「要」の魅力の一つ。ランダムな三本杉の刃文は地元関の名工で、孫六兼元にちなんだものです。」

製造現場として特に難しかったのは、刃文の出し方と八角ハンドルのエッジを出すところだったそうです。製造への熱い意気込みを知ることができました。

独特の反りと刃文が美しい「関孫六 要」。長さは6寸半、5寸、4寸の3種類

開発担当者のデザイナー・大塚さん

製造を担当した工場長の西部さん

 

工場内では1本1本丁寧に包丁が製造されている現場を見学することができました。

刃先を薄く研磨した後、刃全体に口金を溶接。柄と口金を固着させることで柄の中に水が入りにくくなり、柄の耐久性が増します。

この後、さらに溶接した部分を磨いて滑らかに仕上げます。その後、包丁の表面がミラー状になるまでさらに磨きをかけます。熟練した職人によってハンドル部分や口金、尻金などもさらに研磨され、滑らかで美しいハンドルに仕上げて行きます。

包丁で最も重視されるのは切れ味。水をかけながら刃先を研磨することで、摩擦熱をまったく発生させることなく、切れ味をなめらかに大幅に向上させることができます。これを湿式刃付といい、担当できる従業員は社内でも数名とのこと。超熟練工でなくては任せることのできない、大変重要な工程です。

見学の後、トマトや白菜など野菜の試し切りを行いました。素材の切れ味も抜群で切り口もとてもきれい。料理がより楽しくできそうです。

 

「関鍛冶伝承館」で見る刀鍛冶の伝統の業

「カイインダストリーズ」本社のある関市には数百年にわたって受け継がれてきた伝統産業があります。それは日本刀の生産でした。

関鍛冶の刀祖と呼ばれる元重は九州から移り住んだとされ、また越前(現在の福井県)から移り住んだ金重が関鍛冶の発展を導いたと言われるなど諸説ありますが、ルーツは鎌倉時代にまで遡るようです。関には刃物の生産に必要な三大要素-水・木・土-がそろっており、これが刀匠たちが関に定住するに至った要因でした。

中でも有名なのは2代目関孫六兼元です。彼の作る刀は「折れず、曲がらず、よく切れる」と言われ、今回発売された「関孫六 要」は関鍛冶の伝統を今に伝えています。

「関鍛冶伝承館」では、古式ゆかしい装束に身を固めた刀鍛冶達による日本刀の鍛錬を見ることができます。

日本刀の素材は、砂鉄を原料とするたたら製鉄によってつくられた
玉鋼【たまはがね】と呼ばれるもの。
これを写真のような工程を経ながら鍛錬することで、優れた日本刀ができあがる。

 

長良川清流ホテルで「関孫六 要」で調理された料理を味わう

関市にある長良川清流ホテルで、「関孫六 要」を使って調理するコース料理を実演していただきました。

総料理長の小松さんは次のように感想を話しました。

   「初めて『要』を手にした時、日本刀かと思いました。ものすごく軽くてグリップが手にフィットして使いやすそうだと思いました。刃の入りが良く包丁が走るというか、連続して使っても切れ味が落ちません。肉の繊維を壊さずに切ることができます。ご家庭で使っていただければ料理の腕が上がるんじゃないでしょうか。自宅にも欲しい包丁です。」

「要」を使った調理の実演も行われ、着想を得た日本刀「孫六 兼元」の展示も行われました。

調理の実演をする長良川清流ホテルの小松総料理長

「孫六兼元」と共に展示される「関孫六 要」

 

【会社概要】
貝印株式会社 〒101-8586 東京都千代田区岩本町3-9-5
代表取締役社長 兼 COO  遠藤浩彰
設立:1908年
事業内容:商品の企画開発から生産・販売・物流までの一連を行うグローバル刃物メーカー
貝印株式会社URL:https://www.kai-group.com/
関孫六ブランドサイトURL:https://www.kai-group.com/products/brand/sekimagoroku/
(グループ会社)カイ インダストリーズ株式会社 〒501-3992 岐阜県関市小屋名1110

 

【写真提供】
貝印PR事務局

 

【取材・文】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎