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6年ぶり開催!故・市川團十郎さんの思い受け継ぐ「第4回 櫻香の会」(2)市川櫻香インタビュー(後半)

6年ぶり開催!故・市川團十郎さんの思い受け継ぐ「第4回 櫻香の会」(1)市川櫻香インタビュー(前半)から続く

演目の魅力や見どころは?

――令和元年12月15日(日)に名古屋能楽堂で開催される「第4回 櫻香の会」では「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」「小姓彌生(こしょうやよい)」「改元遊行柳(かいげんゆぎょうやなぎ)」の3つを上演されます。演目の魅力や見どころについて、女性歌舞伎役者・伝統芸能者の市川櫻香さんにお聞きします。

「第4回 櫻香の会」出演者 左から 歌舞伎役者 柴川菜月、狂言師 鹿島俊裕、
歌舞伎役者 市川櫻香、作家 遠山景布子(名古屋城内堀 柳並木にて)

「北州千歳寿」 〜江戸文化の美の追求の中に、時代の移ろいや変化を感じる踊り〜

――まずは「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」です。江戸後期、文政1年(1818年)に大田南畝の作詞、川口お直の作曲で作られた曲ですね。浅草の遊郭・吉原が炎上した後、完成した新吉原を祝うために作られました。歌詞にはお正月から歳の市まで、吉原や浅草の四季折々の年中行事が登場し、吉原を行き交うさまざまな人々の様子も描写されています。この曲の魅力はどんなところでしょうか?

櫻香「作曲をした川口お直さんはもと吉原の芸者で、後は料亭の女将でした。吉原が火事になって、お直さんも『吉原はもうなくなるだろう』と感じていたと思います。1度燃えてしまったものは、なかなか元に戻らない。風俗や時代も移り変わる。そういうことをわかって描かれている曲です。日本の四季折々の風景や、『いつしかこの風俗文化が消えていくんだろうな』と想像しながら眺める時の“もののあはれ”の心の境地を描きながら、楽しんでいる曲だと思います。」

 

――時代の移り変わりや変化を見つめて、受け入れているのでしょうか。

櫻香「この江戸後期は、人々が『時代が移り変わっていく』ということを感じている時代です。『ちょんまげをいつまで結うのか?』『花魁道中は今後もあるのか?』。そんな変化の中で、昔の人は変化していくことと向き合って生きていたと思います。ひたひたと、その時の移り変わるものを眺めていくたくましさが感じられます。」

 

――実際に吉原で生活していたお直さんだからこそ、楽曲の中に廓の雰囲気がよく表現されていますね。

櫻香「どうしても吉原というと、女性としては、つらい部分もある世界ですが、いろんな苦しみがあろうがそれを隠し通して、見せない。そうして美しいものに仕立てられていく。苦しさを見せないから余計に惹かれるんですよね。現代の感覚からみると、きっと信じられないことと思いますが、その時代のそこに生きている人にとっては、日常だったわけです。その時を必死で生きている人は、大変ながらもその時を楽しんでいたのではないかと思います。」

 

――踊りの面でもとても難しい楽曲だそうですね。吉原を行き交う登場人物を踊り分けるなどが大変なのでしょうか?

櫻香「『北州』の中には花魁や禿、男衆や若い遊女など、私の考えでは18人の登場人物が出てきます。扇子一本で描写しなければいけません。これまでに何度か踊らせていただいていますが、踊り手は自分の人生経験が深くなればなるほど、体の表現の仕方・工夫が深まっているのを感じます。それまでは型通り、振り通り、言われた通りに踊っていましたが、自分の精神的なものもいい時期にきているのではないかと思います。今が前より、少しわかってきたようにも思いますが、まだまだ踊り足りないように感じています。これは永遠です。何役もありますが、体が覚えている通りに踊り、そこに人生経験がこれまでよりある分、今までと一緒の踊りにはなりません。」

 

――「北州」の踊りを学んだ時の思い出などがあったら教えてください。

櫻香「最初に『北州』を教えてもらった時が30代です。教えてくださったのは、藤間蘭景(らんけい)先生と藤間藤七津先生。蘭景先生は、歌舞伎舞踊で女性初の人間国宝となられた藤間藤子先生の養女です。藤七津先生は藤子先生の内弟子さんをされ、このお2人が、とにかく私を鍛えてくださいました。稽古場が浅草橋にあったのですが、蘭景先生から、『藤子先生が踊りでうまくいかなくて、自分の師匠に叱られて、隅田川に飛び込もうとしたこともあったそうよ』と話されました。そんな話を聞くと、『私も隅田川に飛び込まなきゃいけない』と焦りましたね。」

 

 

「小姓彌生」〜新歌舞伎十八番。大事な演目〜

――「小姓彌生(こしょうやよい)」は、九代目市川團十郎が振付けた歌舞伎舞踊「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」の彌生のくだりを踊るのですね。徳川千代田城の大奥で、正月七日の「御鏡餅曳き」(鏡開きに先立つ多くの行事)の日に、お茶の間話の小姓の彌生が踊ることになり、可憐に踊る彌生が神棚にまつられている平獅子を持つと、獅子の精霊が宿って、彌生は平獅子に引っ張られる・・・。

櫻香「『春興鏡獅子』は、九代目團十郎が娘の『枕獅子』の踊りの稽古を見て発想した作品です。新歌舞伎十八番のひとつでもあり、成田屋・市川家としても大事な演目です。この演目を若い人にきちんと伝えるために上演致します。いづれ定式通り後ジテの獅子まで上演する機会を持てるよう頑張ってほしいのですが、この前シテ彌生の部分は女性芸能者にとりとても大切に思っています。私も2002年に『春興鏡獅子』でヨーロッパ6都市8公演を行いました。歌舞伎座と同じように、しかも演奏は長唄もお囃子も全員女性の総勢30人の女性芸能者で行いました、8回も獅子を踊った女性はなかなかいないと思い、少し自慢できます。」

 

――後半の「獅子の毛ぶり」はダイナミックな見どころですが、今回の舞踊「小姓彌生」では獅子の部分はなく、彌生の舞のみになっていますね。

櫻香「ヨーロッパ公演で獅子の毛ぶりをしました。御見物の方から『これは女性が演じているから、あの獅子は女神と感じました』とおっしゃられたのです。鏡獅子は男性が演じるものとして九代目團十郎が作られましたが、もとは自分の娘さんから発送しました。つまり可憐な女性を想定して作られた作品です。獅子の毛ぶりは見せ場ですが、本来なら男性の獅子が出てきてがっちりと筋肉のある体で振るから迫力があります。女性の獅子はどうなのでしょうか。許されるならば、後半の獅子の表現方法も考えさせていただきたいと思ったのです。女性芸能者が演じる場合は、彌生の舞だけという方向性もありかなと。十二代目團十郎先生に申し上げましたら、『後(のち)を考えてもいいね』とおっしゃってくださいました。」

 

――女性芸能者が魅せる、女性ならではの「小姓彌生」なのですね。今回はお弟子さんである市川舞花さんと芝川菜月さんが2人で彌生を演じます。見どころを教えてください。

歌舞伎役者 柴川菜月さん

櫻香「若手2人が出ているのは、『櫻香の会』とはいえ、次の世代が育って欲しいという気持ちからです。いつもは1人で踊る彌生ですが、今回2人で演じることで、同じ振りでもより強調されます。大切なお正月の行事で踊りを踊ることは、大変なことです。しかもお茶話の間にいた小姓が抜擢されたわけです。踊の好きな小姓達もたくさんいたでしょうから、この場をいただき踊ることは、まさにこの会の場で踊る二人と同様な気持ちです。若い二人が今後更に精進を積み、元来の定式の全曲をぜひ上演してほしいと思います。」

 

改元「遊行柳」~今の自分の理念に合った作品。「柳」は名古屋に縁も〜

――「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」は室町時代の能楽師・観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ)の晩年の作品です。現在の福島県白河市である陸奥国・白河関付近を舞台に、老いた柳の木の精霊と遊行上人(ゆぎょうしょうにん)との出会いや、老柳の精が成仏するまでが描かれています。今回、「遊行柳」を演目に選んだ理由を教えてください。

櫻香「能の中で、何か私に踊れるものはないのかなと探していた時期がありました。その中のひとつが遊行柳です。この作品は、年老いた老人・柳の精の役なので若いうちにやるものではない。けれども今の年齢になったら、“年老いた”というのも嫌で、若い華やかな踊りをお見せしたい気持ちがある。若い時期の艶やかで華やかな時代を懐かしむような気持ちです。」

 

――遊行柳に出てくる老いた柳の精霊も、自分が若く咲き誇っていた頃の昔の華やかな時代を恋い慕い、懐かしんで舞を踊りますね。

櫻香「この作品が作られたのが、600年くらい前です。その前が源平合戦や源氏物語の時代。舞台の中でも老柳が源氏物語の女三官と柏木の話や雅を懐かしむ場面があります。作中では、遊行上人は『新しい道と古い道の2つの道』を選ぶようなところがあります。遊行上人は古い道を通って柳の精霊と会うわけです。この『古い道と新しい道』は、まさに私たちがやっている伝統的なものも表していると思います。伝統的なものや文化遺産は、そのことを考えたり、現代に採り入れたりする人がいないと朽ちていく。柳の木も同様です。このお話は、『伝統文化をつなぐ』というテーマにつながります。」

 

――古い道を選んで古木の柳の木の前で念仏をあげた遊行上人と、柳の木の精霊は舞を踊ります。そして柳は次の若い目を残してゆく。

櫻香「草木も、人界の情けを受けたければ、余剰去りがたし、執着たちがたし」このような想いで長い年月をたたえていた柳です。『よくぞ来てくれました!来てくれたからには踊ってさしあげましょう』という気持ちですね。遊行上人にお経をあげてもらってやっと成仏できた。古いものをお伝えすることができて、やっと死ねるわけです。『ここを通ってくれてありがとう!お返しに踊ります』という喜びの舞なので、良いものでないといけない。そこを意識して踊ります。」

 

――遊行柳は、櫻香さんがやってきたことや思いとつながっている作品ですね。

櫻香「伝統芸能の世界でも、昔の先生は『伝えておかないと死ねない。誰にも渡さないでは死ねない』とよく言っていました。私にも、必死で教えてくださった先生方がいます。『絶対辞めちゃいけない、続けないと!!』と言われ続けてきました。先生方のありがたい執念が私の肥やしになっています。」

 

――実は名古屋も「柳」と縁があるとお聞きしました。

櫻香「名古屋城は昔、『柳之丸御殿』と呼ばれていました。それから昔、素性法師が詠んだ『見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける』という有名な和歌があります。『見渡すと、芽吹いた柳と満開の桜が交ざり合って、都はまさに春の錦の美しさだ』と京を眺めて詠んだ歌です。名古屋には『柳橋』や『錦通り』『桜通り』があり、この和歌がそのまま地名になっていますね。柳自体が日本の時代で流行っていたものです。」

 

――日本の花の代表は桜のイメージが強いですが、柳の木も全国いろいろな場所で見ることができますよね。今回の会場・名古屋能楽堂がある名古屋城にも咲いていますし、身近な道路や土手にも咲いています。

櫻香「遊行柳の作者・観世信光は、叔父である世阿弥の作品『西行桜』に強い影響を受けてこの作品を作りました。西行法師は『道の辺に清水流るる柳陰 しばしとてこそ立ちどまりつれ』という和歌を詠んでいます。『夏の暑い日ざしの中、涼しそうな柳の木陰をみつけたのでつい長居をしてしまった』という句ですが、柳の木というのはどの土地にもある身近なもの。遊行柳は福島のお話ですが、どの土地にも通ずる『道の辺の柳』だと思います。」

 

狂言師 鹿島俊裕さん

すべて“今の自分”とつながっている作品「感じて楽しんでいただきたい」

――「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」「小姓彌生(こしょうやよい)」「改元遊行柳(かいげんゆぎょうやなぎ)」、それぞれが強い思いのこもった演目ですね。

 櫻香「『北州』は先生方が必死な思いで教えてくださった大事な演目です。『小姓彌生(春興鏡獅子)』も市川家にとって大事な作品で、一番たくさん踊った思い入れの強い演目です。そして『遊行柳』は自分の理念に合っています。やはり、そういう『自分に責任が持てるもの』でないと上演できないですね。」

 

――見に来てくださる方にメッセージをお願いします。

櫻香「今回の『櫻香の会』は、自分のこれまでの理念や思い、教えてくださった先生方への感謝を伝える場です。6年ぶりに『櫻香の会』を開催するにあたって、今の自分の精神的なものとつながっている作品を選びました。ぜひ楽しんで、感じていただきたいです。」

 

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公演案内

「第4回 櫻香の会」
日程:2019年12月15日(土)14時30分開演(30分前開場)
会場:名古屋能楽堂
出演:市川櫻香、市川舞花、市川阿朱花、柴川菜月/鹿島俊裕
演目:「北州千歳寿」「小姓彌生」「改元遊行柳」
主催:市川櫻香の会、日本の伝統文化をつなぐ実行委員会
所在地:〒460-0012 愛知県名古屋市中区千代田3-10-3
電話:052-323-4499
FAX:052-323-4575
MAIL:info@musumekabuki.com
URL:https://d-tsunagu.amebaownd.com/posts/7156955/

市川櫻香 プロフィール
家業が伝統芸能の普及と邦楽の師匠であり、四代目に生まれる。1983年、女性芸能者で歌舞伎を行う「名古屋むすめ歌舞伎」を設立。故・十二代目市川團十郎の指導を受け、1992年、市川宗家より市川性を許された。2002年、演奏家・役者ともに女性による「むすめ歌舞伎」のヨーロッパ6都市8公演を敢行。2007年の「第1回 櫻香の会」と2009年の「第2回 櫻香の会」では十二代目市川團十郎の後押しにて開催、また特別出演。市川團十郎初脚本も櫻香の会で行われた。名古屋市芸術奨励賞、日本演劇協会賞、サントリー地域文化賞などを受賞。伝統芸能の表現者である一方、「日本の伝統文化をつなぐ実行委員会」のプロデュースに携わり、次世代芸能者の育成にも力を注ぐ。今回の「櫻香の会」は6年ぶり4度目の開催。

 

著者:コティマム(ライター)

30代1児の母。元テレビ局の芸能記者。東京のマスコミ業界で10年以上働く。現在は在宅のフリーライターとして、育児と両立できる「新しい働き方」を模索中。在宅やフリーランスの働き方について、ブログ「コティマガ」でつづっています。
ブログ「コティマガ」:https://cotymagazine.com/