東海地方発、世の中にインパクトを与える企業・団体・個人の最前線の情報を届けます。

東海最前線

6年ぶり開催!故・市川團十郎さんの思い受け継ぐ「第4回 櫻香の会」(1)市川櫻香インタビュー(前半)

舞踊家であり・伝統芸能者の市川櫻香さんによる「櫻香の会 第四回」が、令和元年12月15日(日)に名古屋能楽堂で開催される。

市川櫻香さん(以下「櫻香さん」)は、1983年に女性で歌舞伎を行う「名古屋むすめ歌舞伎」を設立。歌舞伎俳優の故・十二代目市川團十郎さんから指導を受けて、市川宗家より市川性を許されている。「櫻香の会」は團十郎さんから後押しを受けて2007年に始まった伝統芸能の会だ。櫻香さんは團十郎さんが2013年に白血病の闘病を経て亡くなられる前に、2007年の「第1回 櫻香の会」と2009年の「第2回 櫻香の会」で特別出演と市川團十郎初脚本の上演も実現している。

今回の公演は2013年の第3回以来、6年ぶりの開催となる。「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」「小姓彌生(こしょうやよい)」「改元遊行柳(かいげんゆぎょうやなぎ)」の3つの演目を上演する。

主演の市川櫻香さんに意気込みや見どころ、團十郎さんへの思いなどを伺った。以下、インタビュー形式でお伝えする。

第4回 櫻香の会 出演者 左から 歌舞伎役者 柴川菜月、狂言師 鹿島俊裕、
歌舞伎役者 市川櫻香、作家 遠山景布子(名古屋城内堀 柳並木にて)

 

 「女性芸能者を育てたい」という團十郎さんの思いと「櫻香の会」

――櫻香さんは「名古屋むすめ歌舞伎」を立ち上げ、宗家である成田屋の故・十二代目市川團十郎さんから「市川姓」を許されました。「櫻香の会」の立ち上げも團十郎さんの後押しがあったそうですね。團十郎さんと「櫻香の会」について詳しく教えてください。

市川櫻香(以下:櫻香)「歌舞伎は、江戸幕府が始まり1603年に出雲御国(いずものおくに)という女性が『かぶきおどり』を踊ったことから始まったとされています。新しい時代が来たということで、出雲阿国が歌舞伎踊りを通してそれまでの戦国武将の荒くれだった心や民衆の新しい時代の到来を感じさせたのではないでしょうか。約10年の間に、女性による歌舞伎、いわゆる『遊女歌舞伎』や『女歌舞伎』は全国に広まりました。しかし風紀の乱れの取り締まりから、1629年に女性芸能者が表舞台に立つことが禁止されてしまいます。」

 

――今でこそ歌舞伎は「男性が演じるもの」というイメージですが、もともと女性が発祥だったのですね。

櫻香「そうです。明治時代になってから、九代目市川團十郎が『女優を育てよう』と新しい空気、流れを取り込むようになりました。当時海外では女優が生まれ始めていましたし。十二代目團十郎先生としても、時代を考えていたのではないかと思います。また、挑戦に対して大変寛容な方であったと思います。九代目からの流れにそって、『女性芸能者を育てたい』という思いがあったのだと思います。」

市川櫻香さん

――それが「名古屋むすめ歌舞伎」や「櫻香の会」につながっているのですね?

櫻香「はい。團十郎先生は闘病中に、『團十郎復活 六十兆の細胞に生かされて』という本を出されて、その中で私のことにも少し触れてくださっています。『市川櫻香がむすめ歌舞伎をずっとやってきた。僕はそれを後押ししてきた』と。実は團十郎先生に、『そろそろ自分の勉強がしたい、むすめ歌舞伎をもう辞めたい』と相談しに行ったことがあるんです。その時に、團十郎先生から『櫻香の会を立ち上げてはどうか?』という話をいただきました。『後押しもするし、出演もする。その代わり、むすめ歌舞伎は辞めないで次の世代に残して欲しい』とお願いされました。『歌舞伎と女性』という関係、そして『女性芸能者の道』を閉ざしたくないという気持ちがあったからだと思います。」

第1回 市川櫻香の会 案内

――そういった團十郎さんの思いから、「名古屋むすめ歌舞伎」も「櫻香の会」もずっと続いているのですね。「櫻香の会」では、2007年の初演と2009年の2回目に團十郎さんも出演され、櫻香さんとも共演されました。

櫻香「特別出演をしていただく、大変有難いこととなりました。また、先生は舞踊などで女優さんとの共演はありましたが、歌舞伎の芝居で女性と共演するのは『櫻香の会』が初めてのこととおっしゃられていました。」

 

――名古屋能楽堂での特別な共演でしたが、歌舞伎俳優が能の舞台に立ったのですね。

櫻香「團十郎先生もお能の本拠地である能楽堂での舞台は初めてでした。昔は能楽と歌舞伎は交じることはできませんでした。それは、そもそもの両芸能の生い立ちと成立が違うからです。今は時代が変わり、少し緩んできたようです。」

 

――2009年の2回目の「櫻香の会」では、團十郎さん自ら脚本を書かれた新作「黒谷」を舞踊劇として上演されました。平家物語を題材にした演目「熊谷陣屋」の“その後”を描いた物語で、三升屋白治(みますやはくじ)というペンネームで執筆されました。当時の團十郎さんは、闘病中で入院されていました。結果的に「黒谷」が遺作となりました。

第2回 市川櫻香の会 案内

櫻香「2009年の時は、病室にパソコンを持ち込んで『黒谷』の脚本を書いておられました。病院は無菌室で、その病室でお芝居の話などをされる様子を拝見した大変心配した思いになりました。常時船酔いの心地でいることもはなされていました。そんな状態で脚本を書くのは大変だったと思うけど、文句も言わず『できる』とおっしゃいました。あんな大変な時に作ってくださった。團十郎先生が残してくれた素晴らしい作品です。」

 

――2010年の第3回 櫻香の会では「新作 天の探女」、「狂言 盆山」、「清元 深山桜乃兼樹振 保名」を上演されました。

第3回 市川櫻香の会 案内

――2013年は、「櫻香の会」という名前を外して、「櫻と鐘の時」という公演名で行っています。どのような意味があったのでしょうか?

櫻香「2011年に東日本大震災が起こり、『櫻香の会』をやっている場合ではないという状況になりました。鎮魂という形で自主公演『櫻と鐘の時』をすることにしたのです。そして2013年は團十郎先生が亡くなられました。」

 

6年ぶり開催の「櫻香の会」は理念や感謝を伝える場

――第4回 櫻香の会は、それから6年ぶりの開催ですね。どんな気持ちで挑みたいですか?

第4回 櫻香の会 案内

櫻香「『櫻と鐘の時』の後、落ち着いたら『櫻香の会』を開催するつもりでいましたが、6年も経っていました。去年ある方から、『あなた、企画とかそんなことをしているけれど、あと何回踊れると思っているの?』と言われたんです。團十郎先生に『むすめ歌舞伎を辞めさせていただきたい』とお話し申し上げた時も、理由はと聞かれ、『自分の勉強がしたい』と申し上げたことを思い出しました。自分のこれまでの理念や思い、教えてくださった先生方への感謝の気持ちが、今回、開催に踏み切る力となりました。」

 

関連記事

6年ぶり開催!故・市川團十郎さんの思い受け継ぐ「第4回 櫻香の会」(2)市川櫻香インタビュー(後半)

6年ぶり開催!故・市川團十郎さんの思い受け継ぐ「第4回 櫻香の会」(3)見どころ解説

 

著者:コティマム(ライター)

30代1児の母。元テレビ局の芸能記者。東京のマスコミ業界で10年以上働く。現在は在宅のフリーライターとして、育児と両立できる「新しい働き方」を模索中。在宅やフリーランスの働き方について、ブログ「コティマガ」でつづっています。
ブログ「コティマガ」:https://cotymagazine.com/