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金属加工の町工場がダイバーシティーに取り組む理由とは?:早川工業株式会社 代表取締役社長:大野雅孝 

ここが最前線:独自のダイバーシティ経営で組織変革

“刃物の一大生産地”、岐阜県関市。古くから“ものづくり”が盛んな
関市には、長い歴史と伝統を誇る「町工場」が多数点在します。
そんな中、昨今経済産業省が推進するダイバーシティ経営に取り組む、
金属加工・金属プレス会社があります。

今回は早川工業株式会社(以下、早川工業)代表取締役社長 大野雅孝さんに、
ダイバーシティ経営に取り組みはじめたきっかけや、その効果を伺います。

三点要約

・自社の存続にダイバーシティの考え方が必要だった
・ものづくりには“個の創造性”が重要
・社員が自主的に立ち上げた「ZAO-Factory」

プロフィール

▲「大野雅孝」さん。早川工業株式会社 代表取締役社長。
2009年に取締役社長に就任。2017年頃から自社のダイバーシティ経営に取り組む。
音楽が好き。

「ダイバーシティ経営」を始めたきっかけ

――よろしくお願いします。まずは「早川工業」についてご紹介いただけますか。

大野さん:弊社は金属プレス加工とプレス金型の専門会社です。
  両方やっているところが一つの特徴ですね。
  型屋さん、プレス屋さんと分かれている会社が多いので。
  例えば、工作機械や住宅設備の金属部品を作っています。

▲さまざまな金属部品を製造

——貴社はダイバーシティ経営に積極的だと伺いました。

大野さん:ダイバーシティという言葉は、
  私が社長に就任して3年目くらいから使っています。
  当初私はノーマライゼーションと謳っていました。。
  日本国内ではまだ、ダイバーシティという言葉が浸透していなかったですし、
  私も知りませんでした。

——ダイバーシティ経営に取り組む“きっかけ”はあったのでしょうか?

大野さん:“きっかけ”と声を大にしていえるものはありません。
  強いていえば、30年前の学生時代、NYに2年ほど滞在していた時期がありました。
  シェアハウスに4人で住んでいたのですが、その内の1人がゲイでした。
  また現地の友達がLGBTのメッカみたいな所に住んでいたりしました。
  いつも周りにそういった人達がいました。
  当時の私にLGBTの知識は全くありませんでしたが、一緒に過ごした時期があって、
  それがダイバーシティに繋がる部分はあると思います。
  後は……現地での差別ですかね。

——差別ですか?

大野さん:あまり良い言葉ではありませんが、“イエロー・モンキー”みたいな差別は、
  すごく感じましたね。日本人や中国人ではなく、黄色人種と括られてしまう。
  後ほどお話しますが、ダイバーシティ経営へ突入する中で、
  そこへのジレンマはとても大きかったです。

——そんな経緯があったんですね。
  本格的にダイバーシティ経営に取り組み出したのは、いつ頃ですか?

大野さん:今から2年前、2017年頃ですね。
  障がい者雇用は9年前からやっていますが、当時から在籍しているのは1名だけなので。
  弊社は現在、計5名の障がい者の方を雇用していますが、
  そのうち4名はこの3年くらいで入社しています。

——なるほど、9年前から障がい者雇用はされていたと。

大野さん:過去に会社が苦しかった時に、
  障がい者社員とシルバー社員に支えてもらった経緯があります。
  その内の一人なんですよね。会社が苦しかった時期には、本当に助けられました。

——経営方針を切り替えて、具体的にどのような効果が得られたのでしょうか。

大野さん:ここ何年間かは、採用で困らなくなりましたね。
  例えば2018年は、新卒を2人も採用させてもらいました。
  また障がい者の方やLGBTの方が入社しやすくなったのも、効果の1つですね。

——LGBTの方の受け入れにも、力を入れているのですか?

大野さん:入口は設けている、という感じですね。
  カミングアウトした方は在籍してませんが、発表当時のメディアの注目度は高かったです。
  これに関して、特別な意図や目的はありません。
  というのも過去に、LGBTの方が履歴書に
  『どちらの性別に○を付ければ良いかわからない』って話を聞きました。
  それってある意味、就職活動を妨げる壁じゃないですか。
  『壁があるなら取っ払えば良い』だけの話で、うちはそういう差別をしませんよ、
  という宣言なんですよ。彼等の居場所は、しっかりと用意しています。

――なるほど。後継者不足に悩まされる工場が多い中、採用で困らないのは強みですね。

▲工場内の様子

大野さん:ダイバーシティに影響されて入ってきた社員もいるでしょうね。
  岐阜市に地場産業や伝統産業関係のインターンシップを手掛ける
  NPO法人G-netの「ミギウデ」という採用プランに参加しました。
  彼等が大学3年生の頃から、1年くらい会っていました。
  私達の考えをお伝えして、最終的に8人程度になって、2人採用したんです。
  本当は1人だけ採用する予定でしたが、気づいたら2人になってました(笑)。

同質性を排除して“個の創造性”を高める

——大野社長は、学生時代から金属加工や製造業に興味はあったのでしょうか?

大野さん:正直な話、興味が湧かなかったですね。
  当時は、私の父親が『早川工業』の社長でした。
  事業を継ぐことも考えてなかったし、どちらかいうと嫌でした。
  色々あって、今は、自分が20代の時にイメージした
  『こんな会社だったら良いな』ってのを具現化している感じです。

——それがダイバーシティ経営にも繋がるわけですね。

大野さん:そうですね。障がい者雇用をやり始めてから気づいたのですが、
  私達のような就職氷河期世代は、病んでる人が多いんですよ。
  というのも、過去に社員さんだけで合宿をやりまして。
  SWOT分析をしたら、WEEK(弱点)ばかり出てくる。
  そもそも自分達に自信がなかったんですね。

——なるほど。

大野さん:最初から何かを諦めている、といいますか。
  私達の世代は、団塊世代の先輩方に、忠実に従ってきました。
  与えられた仕事を一生懸命やって、続けていれば絶対に報われると、
  未だに信じています。しかし現実は、そうとは限りません。
  いきなり仕事が飛んだり、自分で判断・行動したりする場面に遭遇すると、
  どうしたら良いのかわからないんです。結果、病んでしまう。

——言葉は悪いかもしれませんが……“イエスマン”が多かったということでしょうか?

大野さん:そうですね。例えば、『俺達の強みはなんだ?』と問いかけても、
  返ってくるのは『わかりません』なんですよね。
  仕事が振ってきたからやっていただけで、なぜお客様が仕事を出していたのか、
  考えたこともなかった。その裏には、製造業特有の同質性があります。

——同質性とは何でしょうか?

大野さん:製造業はできるだけ、均一の品物を送り出さなければなりません。
  そのため、同じような質の人を揃えたがります。
  真面目にコツコツやれるか、指示されたことをやれるか、これが同質性です。
  その枠に入る人達が“、現場における“やれる人”になります。
  ただし、これからの町工場の存続を考えると、
  “指示されたことだけをやる人”のみではやっていけません。
  このままではまずいし、全員が病んでいくと思いました。

——業務上、同質性が重視されるのは仕方ないこと……なのでしょうか。

大野さん:その流れを変えるのが、知的障がい者の方々だと感じました。
  同質の概念に入らない人をあえて雇い、社内のバランスを崩そうと思ったんです。
  この発想に至ったのが、今から3年くらい前ですね。

——障がい者の方々が、ですか?

大野さん:結局、今の障がい者雇用って、一般的な会社は
  『会社に障がい者を合わせよう』とします。
  枠の中に入ることが社会性だと教えるのですが、
  恐らく、その真逆をやった方が面白い。
  実際に障がい者の方と触れあってみると、彼等の強さを肌で感じました。
  それに伴い、1つの物事に対し、視点を変えて見られる社員が増えた印象です。

——具体的に教えてもらえますでしょうか。

大野:私生活では感じていない偏見。
  いわゆる、“アンコシャス・バイアス(無意識の偏見)”ですね。
  例えば、障がい者の方が仕事中にパニックになったり、暴れたりすることもある。
  でも、『暴れても止めるな』と社員さんに伝えています。
  それすらを良く味わって、自身の内側にある“アンコシャス・バイアス”に
  気づいて欲しいんです。
  それが結果に、ものづくりに必要な“個の創造性”を高めます。
  この辺りも、後ほど詳しくお話しましょう。

——わかりました。ただ障がい者雇用を始めるにあたって、
  社員から反発はなかったのですか?

大野さん:あったと思いますが、自分の考えに同調する仲間もたくさんいましたよ。
  “人が創造的であるために必要”なのだと、周りには説明しました。
  やや強引に感じられたかもしれませんが、理屈は通っていると、今でも思います。
  そうすることで町工場は、もっと面白くなるはずだと。

——非常にイノベーティブな考え方ですね。

大野さん:AとBが合わさって、Cになったものがイノベーションです。
  ですが傾向として、町工場って社長が『A!』っていったら、
  全員Aになりがちなんですよ。本心は違かったとしても。
  だから、全員がAに同調するのではなく、
  『AもBもアリだよね』という人が出てこなければならない。
  そうしないと、本物のイノベーションは生まれません。

——だから社内バランスを崩す、というわけですね。

大野さん:そうです。一回崩れないと、バランスの取り方が見えないじゃないですか。
  実際にバランスは崩れてきて、例えば文系の若手女性社員が今、
  金型マシーンを毎日操作しています。
  『機械操作=男性』がするもの、というイメージが変わりますよね。
  またそれは、社員とのコミュニケーションにも現れています。
  若手社員が社長室に来て、のんびりと会話を楽しむ機会も増えました。

——社員が社長室で会話を楽しむって、あまり聞きませんね。

大野さん:ここはオープンスペースにしています。
  私が声を掛けるのではなく、社員が就業後に来るんですよ。
  私よりも、彼等の方が話したいみたいで(笑)そうすると、
  私と近い人はどんどん近づくし、距離のある人はどんどん離れていく。
  ある意味、バランスが崩れるんです。
  当然差別や区別をするつもりはありませんが、勝手にそういう構造となります。

――大野社長は、それを良しとしているんですか?

大野さん:そうです。“アンバランスなバランス”を取りたいし、
  そうしなければ結局、全員が辛くなるから。社長や上司に同調するだけなんて面白くないですよね。

組織運営の価値軸は「福祉」から学んだ

——とても興味深いお話ばかりです。
  しかし、ここまでの道のりは……決して楽ではなかったのでは?

大野さん:そうですね。そもそも私は、ものづくりに興味が湧かない人間でした。
  講評会とかにいっても、凹んで帰ってくるんですよ。
  機械の型番とかの話になると、付いていけない。
  手帳に書いても頭に入らない。でも製造業の社長として、
  そういうのを知っていないと、ダメだと思っていました。

——確かに私も、興味がないことは中々覚えられません……

大野さん:その過程で悩み、葛藤するわけです。
  本をたくさん読んで勉強して、実践するのですが、
  現場からは不満が上がりました。『そんな本を読んだくらいで何になるんだ』と。
  人の採用にしても『もっと“まとも”な奴を連れてこい』と。
  そもそも“まともって何だ?”って話ですよね。

——それを打破したきっかけは、あったのでしょうか。

大野さん:鹿児島県のSHOBU(以下、しょうぶ学園 )   という障がい者福祉施設で、
  “個の創造性”の大切さに触れたのが大きいですね。
  これは『早川工業』の社長ではなく、親の話になりますが、
  私の子どもは重度知的障がい者です。
  障がい者は、支援学校を卒業してからが大変なんですよね。
  働ける人は働くし、訓練を受けたりする。でも、中々就職できない現状があります。

——なるほど。

大野さん:彼は重度障がい者なので、この先どうやって面倒をみるか。
  学校は先生方のサポートもあり毎日通うことが出来ました。
  しかし卒業後はその行き場に困りました。
  施設は受け入れてくれましたが、本人が毎日行きたがらない。
  「頑張って行こうね」と励ますのですが、私の都合でいっているだけで、
  私はいったい何を頑張れと彼にいっているのか分からなくなりました。
      そういうジレンマを持っていたのは、彼が卒業した後のことです。

▲ドキュメンタリー映画『幸福は日々の中に。』予告編

大野さん:その後、何気なく開いたYoutubeで『しょうぶ学園』が手がける
  ドキュメンタリー映画の予告動画を観たんですよ。
  それを観て号泣したし、“ノーマルというのは、すごく大きな課題だ”
  という施設長の言葉に共感しました。すぐに現地へ向かいましたね。

——そこに会社経営、引いては組織運営のヒントがあったと?

大野さん:そうなんです。『しょうぶ学園』は、
  支援する・されるというスタンスではなく、健常者と共同で作業します。
  彼等の作品はとても自由で、発想も素晴らしい。
  つまり一人ひとりの “個の創造性”が高いんですね。
  うちは営利組織ですが、施設で感じた創造性の大切さ、
  また世界観などを製造業に活かせないか、と考えました。

——現実的に考えて……営利組織に福祉の考え方を取り入れるのは、
  難しかったのではありませんか?

大野さん:福祉施設の代表からも、『営利企業だと難しいよ』と
  いわれたことがあります。でも、やってみようと。
  一人ひとりの創造性が高まれば、他は真似できない“ものづくり集団”に
  なれるはずです。本来ものづくりって、創造的なものですから。

2人の社員が立ち上げたアクセサリーブランド「ZAO_Factory」

——会社の入口にアクセサリーが並んでいました。
  「早川工業」さんはアクセサリー製造もされているのですか?

▲ブランドロゴも社員がデザインしている

大野さん:うちの若手がやっている『ZAO_Factory』の商品です。
  加工時に排出される廃材を使ったアクセサリーなんですよ。
  社内部活動なので、会社は給料を一切払っていません。
  アクセサリーの売り上げも本人達の口座に振り込まれます。
  就業後に作業を進める、副業みたいなものですね(笑)。

——通信販売もされているのですか?

▲ワークショップで販売されたキーホルダー

大野さん:『BASE』で販売していますよ。
  元々は、愛知県内で福祉施設(ひょうたんカフェ)  と一緒にやったワークショップがきっかけです。
  施設の方々と一緒にミサンガキーホルダーを作ったんですが、
  とても評判が良かった。2人の社員は『これはいける!』と思ったみたいです。

——エコと実益を兼ねた素晴らしい活動ですね。

▲「ZAO-Factory」デザイナー・宮崎はるかさん

大野さん:私は指示していませんし、
  彼等が『やりたい!』というから許可したに過ぎません。
  まだブランドを立ち上げてから半年しか経っていませんが、評判は上々みたいです。
  このように自主性を発揮しても良いという環境が出来始めているのは、嬉しい限りです。

——これもやはり、ダイバーシティの影響でしょうか?

▲一つひとつの廃材がアクセサリーになる

大野さん:分かりませんが、ただ社内の雰囲気は、ここ1年で変わったと実感しています。
  例えば弊社は、ホームページで情報発信をしているのですが、
  新入社員のブログ記事は、ほぼ切れずに出てきます。
  それは障害のある社員さんも同じ。
  障がい者雇用で雇われている人がブログを書くって、あまりないと思います。

——確かに。「早川工業」の社風あってこそ、社員の皆様も自主的に動けるのでしょうね。

大野さん:自分のやりたいこと、興味のあることが
  仕事に全く結びつかないってことはありません。
  それは『ZAO_Factory』で証明しています。
  そのような思考や内発的動機が、現代のエンジニアリングと結びつく可能性は十分にあるし、
  地方の町工場はもっと面白い場所になる。私はそう信じています。

——ありがとうございました。

取材を終えて

終始和やかな雰囲気で進んだ、今回のインタビュー。
笑顔でお話しくださった大野社長ですが、その言葉の節々に、
ご本人が抱えた苦悩や葛藤、ジレンマを垣間見ました。
長い歴史のある町工場で変革を成し遂げることは、容易ではないでしょう。
それでも、大野社長は諦めませんでした。
ダイバーシティ経営という形で社内変革を進めています。
今後も「早川工業」の斬新な取り組みに注目したいところです。

 

取材対象

早川工業株式会社

ZAO Factory(Instagram)

著者+撮影 ポメラニアン高橋 フリーライター&編集者
東京から岐阜県に移住してきたフリーランス型ポメラニアン。編集プロダクションにてレストラン取材や芸能人インタビューなどを経験し、2017年に独立。
詳細な実績やプロフィール