<異>と出遭う 体験型宿泊施設 「あわ居」(岐阜県郡上市石徹白区)
2025.07.26
【ここが最前線】非日常の場所に身を置いて<異>と出遭い、生き方や考え方、他者との関係性などを模索する宿泊施設
岐阜県郡上市の最奥に石徹白(いとしろ)という地域があります。福井と岐阜の県境にあって、古くから白山信仰の重要な拠点として知られてきました。
この石徹白地区に岩瀬崇(たかし)さんと美佳子さんの二人が移り住んだのは6年前。2人はここで、古民家を改築した「あわ居」という場所を営んでいます。「あわ居」とは何か。2人が「あわ居」に込めた思いとは? 雪解けを待って、新緑の美しい石徹白を訪ねました。
岩瀬崇さん、美佳子さん夫妻 「あわ居」にて
奥美濃の豊かな自然に囲まれた、白山信仰の拠点・石徹白
東海北陸自動車道の白鳥ICを降りて、国道158号を北上。県道314号(白山歴史街道)を通り桧峠を越えると、ようやく石徹白の集落に入ります。6月だというのに、峠を越えた所から見える山には雪が残っていました。
岐阜県郡上市白鳥町石徹白は、日本三名山の一つ白山(はくさん)の麓に位置する人口約270人の小さな集落です。かつては福井県に属しており、1958(昭和33)年、一部を除き、岐阜県と合併して今に至っています。
標高700mの高地にあり、夏は涼しく、冬は降雪量が3mを超える豪雪地帯。かつては白山信仰の拠点として約1200人もの人々が暮らし、明治になるまで“神に仕える人が住む村”としてどこの藩にも属さず、名字帯刀が許され、年貢が免除されるなどの特権がありました。
現在は信仰の拠点としての色合いはかなり薄れましたが、豊かな自然に恵まれ、村内各所には信仰の礎だった頃の面影が残っています。
桧峠を越えた辺りから見た風景。6月だというのに遠くの山々には雪が残る
白山信仰の拠点・白山中居神社の鳥居。境内には巨樹が生い茂り、
樹齢1800年といわれる有名な「石徹白の大杉」はこの奥にあり、
美濃禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれた岐阜県側の白山登山道沿いにたたずむ。
「あわ居」とは<異>と出遭う場所
のどかな村の中は常に水の流れる音が聞こえます。
岩瀬夫妻が営む「あわ居」は村はずれの川のそばにありました。裏手 には大 師堂と呼ばれるお堂があり、白山を開山した泰澄(たいちょう)大 師の像が建っていました。明治のはじめに神仏分離令が出された際、白山中居神社などの仏像や仏具を祀るために建てられたものだそうです。人々の祈りが込められた静謐(せいひつ)な場所です。
お二人に出迎えていただき、「あわ居」本棟を案内していただきました。玄関先には薬草が干されています。
築90年ほどになる古民家と知人を介して出会い、正式に譲り受けたのが2016年3月。月~木曜日は実家のある岐阜県大垣市で家業(岩瀬さんの父は書道家 )を手伝い、週末は 石徹白に来て友人、知人の力を借りながら古民家をリノベーションする日々が約3年続きました。
岩瀬崇さん「古民家のリノベーションに携わるのは初めての経験で、とても大変でした。壁にはしっくいや土 を塗ったのですが、コテの跡が残らないように友達の左官職人にレクチャーしてもらいながら作業しました」
苦心の末にできあがった「あわ居」はエキゾチックな雰囲気をたたえた異空間。「あわ居」を訪れるゲストはここで岩瀬さんと対話することで、これまで気づかなかった新たな自分に出遭うことでしょう。「あわ居」とは<異>と出遭う場所なのです。

「あわ居」本棟入口。

軒を支える腕木の下には「雲」と呼ばれる装飾が施されている。飛騨地方の民家に見られる特色の一つ

古い箪笥(たんす)を本棚として使っている

哲学する空間「あわ居」
一見すると民泊のような「あわ居」ですが、岩瀬さん夫妻の思いはもっと深いところにありました。「あわ居」とはどんな場所なのでしょうか。
岩瀬崇さん「『あわ居』には『ことばが生まれる場所』という1泊2日の宿泊体験プログラムがあります。『あわ居』に興味や関心を寄せてくださる人の中には、どこかしら生き辛さを感じていたり、これまでの自分のあり様や社会、コミュニティなどに対して疑問を抱いている方もいらっしゃるの かもしれません。だからこそ、時には非現実の世界に身を置き、宿泊や食事、ダイアローグ(対話)などの体験を通じて自分と向き合い、自分だけの世界観や感じ方を取り戻したり、形成していく場所が必要ではないでしょうか。私たちは『あわ居』を営むことで、そんな方々の思いに寄り添い、伴走していければと願っています」
このほか「あわ居」では、1回60分~の「プロセスダイアローグ」というオンラインでの対話や別棟での宿泊、学びを目的としたスペース利用(合宿や日帰り企画)、石徹白集落でのフィールドワーク、多様な講師陣による宿泊型ワークショップなども可能です。

和紙を使った照明。レトロな鏡台(ドレッサー)も現役

「あわ居」本棟の横に建つ「あわ居」別棟 元は小屋だった

「あわ居」別棟のキッチン 自炊も可能
“芸術”で結ばれた2人 石徹白に根を下ろすまでの物語
過疎化の著しい石徹白ですが、近年は白山連峰の豊かな水の恵みを利用して、小水力発電による集落全体の230%という驚異的なエネルギー自給率を実現。起業する若い移住者も増え、地域が活気づき始めています。
しかし、現実的に石徹白を取り巻く自然環境は厳しく、必ずしも暮らすのに適した環境とは言えないかもしれません。それでも2人が同地に移住し、活動の拠点として定めたのはなぜでしょう。
崇さん「ぼくの家は岐阜県大垣市で書道教室をしており、 大学を卒業した後に、 地元に戻って幼稚園児や小中学生に書を教えるかたわら、書道家として活動。書道の教材開発や書道の教育的効果に関する論文の執筆などを行ってきました。しかし、このまま書道教室を続けていくだけでいいのかという迷いもあり、自分が根をおろせる場所を探しながら 徳島県の神山町や揖斐川町の春日などを訪れ、土地に根付いて生きる人々の聞き書きをしたり、 移住して精力的に活動している若い人たちと交流していました」
崇さんの生き方に大きな影響を与えたのは、2011年に起こった東日本大震災だったといいます。
一方、美佳子さんは千葉県出身。九十九里浜の海を見ながら育ちました。武蔵野美術大学では油絵を専攻。アートを模索 しながら東京で10数年間暮らした後にモロッコへ。ゲストハウスのお手伝いをしていた時、旅行で訪れた崇さんとめぐり合い、その後、結婚。
異なる環境にあった二人のアーティストを結び付けたのは、“芸術”に対する考え方でした。
美佳子さん「芸術に長く携わりつつ、それに強く傾倒してきた一方で、社会的に芸術と言われていないものの中にも芸術を生み出す作用と同じものがあると思える場面に何度も遭遇しました。そこで起きていることを突き詰めて考えていくと、私たちは美術館のような場所でなくても芸術に出会っているのだなあと思えたのです。社会的に芸術であると認められていないものの中にも、実は芸術が存在するのではないかと考えるようになりました」
それは岩瀬さんも同じでした。そして 2人は 自分たちの思いを実現するのにふさわしい場所として石徹白を選んだのです。
崇さん「初めて石徹白を訪れた時、土地が持つ力に圧倒されました。でも、その時はまだ石徹白に移住することは現実的ではないと思っていました。その後、岐阜や三重、滋賀などいろいろな場所に行きましたが、ピンとくる所はありませんでした。ところが知人の紹介で、この古民家とめぐり合ったのです。二人で現地を訪れてみて、ここだと思いました」

壁に貼られた書は崇さんの作品

美佳子さんが活けた花。シンプルだが空間に凛とした気を放つ
「あわ居」から、よりひらかれた生へ
2024年12月、崇さんは「あわ居」の総合ガイドブックを刊行しました。それはこれまでのあわ居の実践の軌跡をまとめた作品集であり、対談集、記録集でもあります。
アートを追い求めて生きて来た2人。これまで築いてきた世界の輪郭の外側に自分たちを誘ってくれるもの、あるいはそうした体験をアートと呼ぶならば「あわ居」そのものがアートなのかもしれません。
「あわ居」での体験で形あるものを得ようとするのは難しい。けれどもそこではこれまでの世界や他者との関係性にゆらぎをもたらす何か=<異>を得ることができるでしょう。それはこれまで手にすることができなかった、“ひらかれた生”への第一歩になるかもしれません。

『あわ居』<異>と出遭う場所 執筆:岩瀬美佳子・岩瀬崇 発行所「あわ居」
【施設概要】
あわ居
岐阜県郡上市白鳥町石徹白47-2
電話番号 0575-86-3302
メール awai.itoshiro@gmail.com
WEB https://www.awai-itoshiro.com/
岩瀬崇:1987年岐阜県大垣市生まれ。あわ居主宰。言語を超えたもの=「ことば」を探究テーマとして、あわ居の運営、書作品の制作、書籍の刊行など、ジャンルや領域を跨いだ活動を展開している。著書に、『詩と共生』『ことばの途上』『ことばの共同体』がある。 https://takashi-iwase.jimdofree.com/
岩瀬美佳子:1981年千葉県出身。あわ居主宰。分野を超えて自らの表現を辿り、料理に触れる。現在は食を通した可能性に目を向け、また、モロッコでの滞在中に感じた豊かさの追求から「KAYANN」としても活動。様々な関心における表現の在り方を探究し、地域のソーシャルワークにも携わる。
【取材・文】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎