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東海最前線

本との出会いを生み出す選書サービス(市川由加里さん 選書「菊川」/岐阜市)

2025.12.17

ひと

(ここが最前線)本とのセレンディピティな出会いを生み出す選書サービス、本のある空間づくり

市役所からほど近い長良橋通り沿いの岐阜市矢島町にある「選書 菊川」は、本に関わるユニークなサービスを展開してメディアでも話題になっています。それは「とある一冊の本」と名付けられた有料の選書サービス。

オンラインショップで選書を依頼すると、オーナーの市川由加里さんは書店へ行き、浮かんだイメージでその人におススメの文庫本を選んで送ってくれます。ヒントになるのは依頼人の名前だけ。先入観のないまっさらな気持ちで、書店にある膨大な数の本の中から1冊を選ぶのだそう。

市川さんに選書サービスを始めた理由や、幼い頃から大好きだったという本への思い、ふるさと岐阜の街への愛着などを伺いました。

選書をする「選書 菊川」代表 BOOK SHELF DIRECTORの市川由加里さん
(写真は市川さん提供)

 

見知らぬだれかのために選ぶ「とある一冊の本」

それはとある平日の午後のこと。岐阜県庁の近くに建つ「OKB ふれあい会館」14階にあるカフェレストラン「Kouzo Gifu 」を会場に、「ぎふ草の根交流サロン」が開催されました。同サロンは主に岐阜市を中心に地域に根ざした文化活動やまちづくりなどを行っている人々の交流の場です。

今回のゲスト講師は「選書 菊川」代表の市川由加里さん。見知らぬ相手の名前だけをヒントに本を選ぶという神がかり的な選書の仕方に、集まったメンバーは興味津々。市川さんにはサロンの世話役の方から当日出席予定のメンバーの名前が伝えられており、市川さんは書店に足を運んで自ら選書した本を持参しました。この日のテーマは「偶然を愛する人へ―本とのあたらしい出会い方」。

窓辺に並んだ20冊近い本は、ビジネス書から小説、自己啓発関連、童話まで本のジャンルはさまざま。参加者たちにとって今回選書された本は初めて出会うものばかり。市川さんにも名前以外、参加者について知らされている情報はありません。

市川さん「皆様のお名前をヒントに町の本屋さんに行き、お名前から浮かんだイメージで出版社を決めます。出版社が決まったら本のタイトルや雰囲気、装丁のたたずまい、そして最初の数ページを読んでみてお客様におススメの文庫本を一冊選びます。時にはまったく読んだことのない本であったり、手に取ったこともない本であったりしますが、まっさらな気持ちで選書させていただいています」

市川さんから参加者1人ひとりに対し、本を選んだ理由と本についての紹介がなされるたび、感嘆にも似た声が上がります。

ドキドキしながら自分の番を待つ参加者たち。それはおみくじを開ける時のワクワク感に似ているのかもしれません。

 

選書サービスはセレンディピティのようなもの

後日「選書 菊川」を訪れ、市川さんに「とある一冊の本」について詳しくお尋ねしました。

市川さん「お客様のお名前をうかがって本屋さんに行き、その方にぴったりの本を探すということは、私がその方の目になるということなんです。自分が欲しい本を探しているのとはまったく違った感覚ですね。イタコ状態とでもいうような不思議な感じです。『とある…』のご依頼があると必ず書店に行くのですが、何かしら不意にやってくる符号のようなものが見つかるんです。予測不可能なセレンディピティのような…とでもいったらいいのでしょうか」

セレンディピティとは、何かを探している時にそれとはまったく違う素敵な偶然を見つけたり、これまで気がつかなかった新たな価値感を見出したりすることをいいます。

市川さんが「とある一冊の本」を探しに行く本屋さんはいわゆる独立系書店ではなく、普通の町の本屋さん。むしろ一般的な書店の方がうまく行くのだとか。

選書は1冊1,870円(送料込)の有料サービス。予定納期は5日間。時には装丁や出版社の違いから古書を選ぶ場合もあるそうです。

市川さん「現代社会ではコスパやタイパといったことがとても重視されて、成果や結果を出すのがあたりまえのようになっていますが、本の読み方はもっと自由でいいと思うんです。積ん読もありだと思いますし、購入したらすぐに読まなければならないというルールもありません。どうしたら本が読めるようになりますかと尋ねられる方もありますが、私は自分なりのやり方で楽しめばいいですよとお答えしています」

 

依頼を受け、書店に行き、選書をする

選書について自分の体験も交えて話す市川さん

 

「とある一冊の本」を始めたきっかけはインスタの読書記録

市川さんは「選書 菊川」の代表であると同時に「有限会社 菊川美商」の代表取締役でもあります。

市川さん「私の祖母は高知県で生まれ、東京で仕事をしていました。六本木にあるハリウッド化粧品本社に勤めていまして、メイ牛山先生の直弟子だったんです。その後独立して大好きだった岐阜で、母が提唱した「予防美学」の理念を掲げ、美容と健康のためのサロンを開きました。私で3代目。創業して57年になります」

「母からは『あなたの代でようやく生まれも育ちも岐阜になったね』と言われました」と微笑む市川さん。

岐阜大学教育学部社会学科に進学した市川さんは卒業後、ロンドンに留学して知見を広め、帰国後は「菊川美容健康道場」の後継者として美容業界に進みます。
しかし、市川さんには悩みがありました。

市川さん「菊川美容健康道場の3代目として創業者の祖母、2代目の母という大きな存在があり、今後3代目としてどのように事業を展開していったらいいのか、考えていました。それでまずはInstagramで読書記録を公開しようと考えたのです。子どもの頃から本の虫というくらい読書が好きだったので、本を通して私という人間に興味を持っていただけると嬉しいなと思いまして…」

大学時代に図書館司書の資格を取得していた市川さんは9年前からInstagramで読書記録を更新。フォロワーも今では5,700人を超えました。

市川さん「どうせやるからには事業につながることをと思い、古物商の資格を取り、オンラインショップを作りました。やりながら自分には何ができるかを考えたんです。私には本を扱うスキルはないけれど、本を見つけるのも読むのも好き。だったら名前をヒントにおススメの本を見つけるサービスというのはどうかしらと」

それが「とある一冊の本」を始めたきっかけでした。

市川さん「選書を始めて嬉しかったのはお客様から何かしらフィードバックがいただけること。好きな作家さんの本だったり、行ったことのある町のことだったり、故郷に関することであったり、反応は人それぞれですね。中には選書させていただいた本がまったく合わずに手放してしまったという残念な報告をいただくことも…でも本を選ぶという選択肢を人に委ねるというこれまでにない経験が、その方の今後の人生で何らかのお役に立つことがあるかもしれません」

市川さんのInstagram(@kiku1112)にアップされている愛読書たち。
これらの中からその夜、読む本を決める。
市川さんの読書記録を楽しみにしているフォロワーも多い。

 

名古屋の「文喫 栄」で選書のワークショップイベントを開催

2024年、市川さんは名古屋市の中日ビルにできた「文喫 栄」でも選書サービスや選書のワークショップを行いました。

「文喫」は2018年に東京の青山ブックセンターの跡地に誕生しました。今では東京だけでなく名古屋や福岡の天神でも事業展開をしており、カフェも併設。入場料不要の本屋エリアとフリードリンクなども楽しめる有料エリアに分かれています。

市川さん「東京に行ったら絶対行きたいと思っていた『文喫』がなんと! 名古屋にできたのはとても嬉しかったですね。そしてありがたいことに、その『文喫』で『とある一冊の本』のイベントを開催させていただけることになったのです。喫茶店文化の盛んな名古屋で名前だけを手掛かりに行う選書サービスがどんな出会いをもたらしてくれるのか、ドキドキしながら終日楽しませていただきました」

 

本のある空間づくり「ブック シェルフ ディレクション」

現在、市川さんは「とある一冊の本」から発展した本に関わるユニークなサービスをいろいろと展開しています。その一つが企業や個人を対象にした「ブック シェルフディレクション」。

市川さん「『ブック シェルフ ディレクション』は、企業様や個人の方からご相談をいただき、本のある空間を提案させていただくサービスです。本を置くことでどんな空間にしたいのか、どんなお客様がいらっしゃるのかをヒヤリングさせていただき、プランニング。納得していただけたらお見積りに沿って選書し、納品します。本だけでなくインテリア雑貨も含めたご提案も可能です」

定期的な本の入れ替えや選書、本の追加もOK。これまでに岐阜市内のホテル「ホテルパーク」やベンチャー支援や事業再生などを行う「NOBUNAGAキャピタルビレッジ株式会社」、多くの事業者の伴走支援を行う「カンダまちおこし株式会社」、セルフカフェ「つくる」などで「ブック シェルフディレクション」サービスを行ってきました。

市川さん「ちょっとした空間でもそこに本があるだけで、とても意味の深いものになります。例えば多くの事業者の方に伴走支援をされているカンダまちおこし株式会社様は、さまざまな企業の紹介やイベントなどを告知するパンフレットがカウンターに置いてありましたし、たくさんの本もあちこちに置かれていました。そこでもっとたくさんの方々にそれらを手に取って見ていただくにはどうしたらよいかを考え、ディスプレイなどの提案をさせていただきました」

 

本の循環を生み出す「ブック ポイント」

この他、市川さんは岐阜市にある善光寺本堂での「一日だけの本屋」を開店したり、複合文化施設「みんなの森 ぎふメディアコスモス」で開催された「ぎふカルチャーマルシェ」では「一日だけの本の住みか」と題して来場者が気軽に本と親しめる空間を監修するなど、地域のイベントを積極的に創出してきました。

1日だけの本屋 2024年6月 岐阜市善光寺にて(写真は市川さん提供)

 


本のある空間づくり 2023年11月「山本佐太郎商店」にて(写真は市川さん提供)
 


本のある空間づくり 2024年11月「メディアコスモス」ドキドキテラスにて
(写真は市川さん提供)

岐阜の街で生まれ育った市川さんは、岐阜市にとても愛着を持っています。岐阜市を象徴する長良川や金華山を眺めると心が落ち着き、岐阜市は居心地がよく、住みやすい街だといいます。

市川さん「私が暮らしている岐阜市の善光寺の周辺は横のつながりも強くてエネルギッシュな人が多く、とても刺激を受けます。この街に住んでいる人たちの多様な商いや行動、1人ひとりの仕事が街をつくっていくんだなあと。みんなそれぞれに何かしらの役割を担っているんですよね」
2024年、市川さんは自社ビルの1Fに「ブック ポイント」と呼ばれる、だれもが無料で利用できる本棚を設置しました。これはアメリカ発祥の取り組みで、家の軒先などに木箱に本を入れて設置する私設図書館「リトルフリーライブラリー」から着想を得たもの。気に入った本は持ち帰ってもいいし、家から持ってきた本を棚に置いて行ってもいいというもの。まさに街の人たちが作る本棚です。

市川さん「これまではいらなくなった本は古本屋さんに持っていくか、資源回収に出すかといった選択肢しかありませんでしたが、ブックポイントがあれば違った本の循環が生まれます」

そしてもう一つは街中からどんどん姿を消していく本屋をなんとかできないだろうかということでした。一方で『メディアコスモス』のようなシンボリックな図書館があるのに、なぜ書店がなくなってしまうのでしょう。市川さんは岐阜市に住む者として何かできることはないかなと考えたのです。

市川さん「『ブックポイント』の本は持ち寄られ、あるいはだれかに持ち帰られて、どんどん入れ替わっていきます。そして最初の本棚とはまったく別の本棚に生まれ変わります」

 

自社1Fに設置した「ブック ポイント」の前で

本のサービスを始めてから、市川さんはこれまで以上に本の役割を身近に感じるようになりました。本が今まで知らなかったいろいろな人や、自分一人ではたどり着けなかった場所に自分を誘ってくれることを感じるようになったのです。

市川さん「やり始めるとどんどん足場が増えて行って、それを続けていくとさらに世界が広がり、点と点がつながってそれが面になっていくような…どこまで伸びていくかわかりませんが、今はそれがとても心地いいですね」

さらなる今後の活躍がますます期待されます。

 

【市川由加里さん プロフィル】
1975年岐阜市に生まれる。
岐阜大学教育学部社会学科在学中に他大学にて司書の資格を取得。
大学卒業後はロンドンに留学し知見を広め、帰国後は祖母の代から続く店「菊川美容健康道場」にて美容の道へと進む。
幼少期からの読書好きが高じて2022年7月に個人事業主として「菊川」を開業。
本と出会える新しい選書サーヴィス「とある一冊の本」が反響を呼び、各メディアにも多数取り上げられている。
<講演履歴>
・岐阜県警本部・自治労・岐阜県司書協議会・あいちスタートアッププログラム2023・NTT西日本 QUINTBRIDGE・岐阜商工会議所 
<URL>
・選書 菊川 Webサイト:https://kikukawabook.com/インスタグラム:https://www.instagram.com/kiku1112/

 

【取材・文】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎