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東海最前線

奥様の能力を生かして「技術×コミュニケーション」の新規事業開始、本業も好調に。

文学部出身のメッキ屋三代目

 今や新幹線も通る上越。冬は大変雪深いが、夏も猛暑と大変メリハリのある気候が特徴でもある。今年の夏も40度を超える日もあり、そんななか、メッキ工場は暑くて大変だ。そこでタオルを首に巻き付けて、汗だくで現場の指揮をとっている三代目。今年35歳である。

 彼が東京の大学で学んだのは文学であり、メッキとか工業系・モノづくりには一見無縁の世界。バイト先のファーストフード店で付き合い始めた彼女とのちに結婚する。

 実家のメッキ工場は継がず、普通に就職するつもりでいたが、大学三年の正月帰省した折に、二代目社長である父親から、「会社を継がないか?」と言われた。やっぱりその道かと思い、就職活動をやめて首都圏の同業者へ修行にいくことになる。

 メッキ屋の息子として生まれたが、今まで自分の職業として考えたことがなかったため、修行先で師匠にメッキ業界のこと、技術のこと、知識から実務にいたるまで多くを真剣に学んだ。そのときの修行先は、まさに三代目にとってメッキの学び舎。文学からメッキの世界に飛び込んだ三代目に新たなモノづくりの世界の現実を多方面から教えてくれた。

 

妻の英語力を生かした新規事業のはじまり、そして・・

 東京から移り、地元の近くの工場でさらに修行を積んで25歳、実家のメッキ工場に入った。そして学生時代からつきあっていた彼女ともめでたく結婚。実家の会社に社長の息子が入社するというのは、いい意味でも他の意味でも、また自分も周囲にも緊張感があったが、やりがいを感じ仕事に慣れていった。

 しかさいながら、次第にメッキの奥深さもわかってくると同時に、この業界では下請け体質が色濃く残り、新しい挑戦がなかなか難しいという現実にも直面する。このままでは、自分の代になったら、どうなる?と三代目は危機感も感じ始めていた。

 一方、結婚し東京から一緒に地元に来てもらった愛妻。出産、子育てのこともあり、勤め先をやめて、子育てしながらできる仕事を・・・と考えていたところ、三代目の頭によぎったのが、新規事業だ。

 この奥さまは、TOEIC980点という英語力の持ち主で、ビジネス英語の通訳・翻訳はお手のもの。この力を生かした事業はできないか。つまり「英語事業部」だ。海外進出や取引を求める中小企業のビジネス英語のサポートを行う事業を立ち上げることにしたのだ。

 「メッキ工場に英語事業?」最初は、二代目社長も猛反対。ありえないという反応であったが、そこは三代目の情熱と行動力。まずはやらせてみてほしい!と半ば押し切った形で英語事業をスタート。

 と意気込んだのはいいけれど、地元の企業に営業に行ってもなかなか理解されず、夫婦で頭打ちの状態。いろいろ悩み、行政等のいろいろな支援情報をチェックするなどする中で、ピンときたのが「広報活動」。これだ!ということで、行政や専門家に相談し、指導を受けながらニュースリリースを作成、マスコミへの情報発信を行ったり、サービス名を見直し、わかりやすいチラシをつくったり、会社のホームページ自体も見直したり・・と段階的に広報活動を強化していった。もともと文学部であった点も、広報活動に功を奏した。

 

広報活動がやがて本業に利益をもたらし、人材確保にも

 「メッキ工場で英語事業を開始?!」この見出しのプレスリリースは地元のメディアに瞬く間に注目され、地元紙には三代目本人ではなく、英語の達人である奥さまがメディアに登場。そんなところから、通訳や翻訳の仕事が増えていく。新聞に社名が出ることにより、徐々に会社の認知度が高まっていく。そして英語力のあるメッキ工場は、そのうちにアメリカの会社と出会い、技術提携のチャンスを得ることになる。そのアプローチ、交渉役は、奥さまである。メッキのことは三代目本人が、交渉は奥さまでと、まさに夫婦の強いチームワークで見事、海外企業との取引が始まる。

 これは中小企業のメッキ工場には画期的な話題だ。早速、広報のイロハを新規事業の時に学んだ三代目は、この話題についても広報活動を展開する。すると今度は英語事業ではなく、メッキ本業が経済新聞や工業新聞に掲載されることになり、本業の認知度も向上。

 さらに同社ならではの新技術を開発し、全国の展示会にも出展。成果を上げ、これまでの下請けでなく、大手企業からの直取引も始まる。知名度が上がり、受注が増え、工場の稼働率が良くなり、会社を利益体質に転換した。初めての社員旅行もできるようになった。

 忙しくなると、人手が必要になる。人手不足は多くの中小企業の悩みではあるが、同社では新規事業立ち上げ以来、広報活動をずっとしてきたため、働きたいとやってくる若者が増え、今はインターン活動もはじめ、10代の若者たちが現場で学んでいる。そんなこんなで、三代目が会社に入った頃とは違う若い活気が、現場にみなぎるようになってきた。

 

「技術×コミュニケーション」で地域や業界も元気に

 「メッキって難しいんですよ」そう語る三代目。難しいからこそ、もっと伝えなければいけない・・と、今は地元の高校生にメッキの授業もすることもあるそうだ。モノづくりに携わる者にとって、技術力は最優先だ。しかし、それをもっているだけでは、守っているだけでは、社会に認められない。

 当時文学青年だった三代目が東京でみつけたものは、最高のパートナーである奥さまとの出会い。そこから、夫婦のお互いの特徴、個性、能力をフルに生かし、知恵を一緒に絞った結果、「技術×コミュニケーション」という分野を切り開き、会社の発展に繋がっている。元気なメッキ屋さんの夫婦の「技術×コミュニケーション」力が、地域や業界を元気にしてくれる・・。そんな予感がしてくる。

(協力 新和メッキ工業 )

筆者 今尾昌子  コミュニケーション・クリエイター
企業のマーケティングコミュニケーションおよび広報活動の指導や支援活動を行う。特に中小企業の発信力強化に尽力。企業相談や勉強会講師はもとより、ラジオナビゲーターとして中小企業の発信の場づくりに取り組むなどユニークな活動も展開。指導してきた中小企業はのべ1000社以上。認知度向上、企業の活性化に現場目線で取り組む。岐阜市出身。
グラン・ルー代表。
公式サイト http://www.mahsa.jp