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東海最前線

東日本大震災をきっかけに東京から弥富に移住、畑でテレワークしながら地域で生きる(小島雄一朗さん)

2022.07.29

ひと

 

ここが最前線:働くこととプライベートをトータルにとらえ、多様な生き方を模索する

 

近年、「ワーク・ライフ・バランス」という言葉をよく聞くようになりました。これは働くこととそれ以外の生活をうまくバランスをとることで、より良く生きることを言います。

その考え方をさらに推し進めたものが「ワーク・ライフ・インテグレーション」です。これは仕事とプライベートを分けて考えるのではなく、どちらも人生の両輪と考え、より統合的な視点から充実した人生のあり方を模索することです。

コロナ禍を経てICTを活用した時間や場所に限定されない働き方も日常的になり、自分にとってどんな働き方、暮らし方がベストなのか、日々考えている人も多いことでしょう。今、私達は本当に多様な価値観や選択肢の中で生きています。

「サイボウズ株式会社」の営業や「株式会社MOVED」での動画配信、愛知県弥富市でのローカルWebメディアの編集長、OTONAMIEライター、貸し農園での野菜づくりなど、公私ともに多くのチャンネルを持ちながら、忙しい毎日を送っている小島雄一朗さんことコジロウさん(弥富市在住)に、仕事と暮らし方についてお話を聞きました。

【3点要約】
・東京で東日本大震災を経験し、愛知県弥富市に移住
・「サイボウズ」入社後、コロナ禍でテレワークが日常的になり、
 複業や地域での活動も柔軟にすることが可能になった
・「月3万円ビジネス」という無理のない生き方から学んだこと

【プロフィール】
小島雄一朗さん。三重県伊勢市出身。1984年生まれ。鈴鹿高専に入学し、情報工学を専攻。2004年に卒業し、20歳で上京。NTT系のシステム会社に就職し、9年間勤務。2013年家族で弥富市に移住して「有限責任監査法人トーマツ」に転職。コンサルタント業務にも携わる。2020年「サイボウズ株式会社」へ転職。現在中部営業グループに所属。同時期に母校「鈴鹿高専」の非常勤講師となり、半年間勤務。ITとチームワークで地域の課題を解決する個人事業として「Yatomi Civitech」も運営。2022年からは「株式会社MOVED」で動画配信エンジニアを務める。「やっとみつけた、弥富」編集長、「OTONAMIE記者」、「貸し農園AMAKARA塾」のメンバー。

 

農作業のかたわら畑でテレワーク

愛知県弥富市は金魚の養殖と白文鳥発祥の地。大都市の近郊にあって公共交通手段にも恵まれ、暮らしやすい地方都市といった印象を受けます。

コジロウさんから「AMAKARA塾で待ち合わせましょう」と連絡をいただきました。AMAKARA塾とは弥富市内にある貸し農園のことです。
住所を頼りに伺ったところ、弥富市の市街地から国道1号を少し南東の方角に行った道沿いに看板が立っていました。近くを宝川が流れ、目印は柳の木。雨水を貯めるためのタンクや農作業小屋も建てられており、農園には借主である団体名や個人名の書かれた名札が立っています。

コジロウさんの畑、愛称「こじ農園」は広い農園の一角にありました。近くには鯉の池や鶏小屋もあり、農園の中には多様な生物が存在しているのを感じます。コジロウさんが「AMAKARA塾」に入ったのは、自身が運営する「やっとみつけた弥富」というローカルWebメディアでの取材がきっかけだったそうです。

 

▲AMAKARA塾は”海部(あま)から”という意味らしく、1988年ごろから始まったとホームページにある。弥富市近郊の津島市、佐屋市などからも利用者はあるという。年間6坪1区画1万円~。農作業を通じて地域の活性化や地域と個人のあり方を模索していくのが趣旨。これまでにもさまざまなイベントが行われてきた

 

コジロウさん
「AMAKARA塾の運営メンバーのお一人がファシリテーターの講師などをされている方だったので興味を持ち、2年ほど前に『やっとみつけた、弥富』の人物取材としてお話を聞きました。当時ぼくは平日は朝から晩まで名古屋市内で勤務する毎日を       送っていたので、畑をするのは無理だと思っていたんです。

ところが「サイボウズ」に移ってコロナ禍になり、在宅勤務が当たり前になりました。ずっと家にこもってテレワークをしていたので、ふと、こんなにずっと家にいるのなら畑にいてテレワークしながらでも変わらないのではと思ったんです。

サイボウズでは結構頭を使う仕事をしているんですけど、休憩や新しい発想のために畑で土を触りながら、そこでオンライン会議もやって柔軟に行き来するという働き方もおもしろいんじゃないかなと思って。

『AMAKARA塾』の運営の方に聞いたら、『どうぞ、ご自由に』と(笑)。2021年の冬に畑の区画をざっくりと耕された状態で引き渡していただき、最初は土づくりから始めました。」

時には農園にパソコンを持ち込み、農作業のかたわらテレワークをしているコジロウさん。モバイルバッテリーを使いながら必要に応じてAMAKARA塾のログハウス内にある電源から充電し、ネットワークは会社のスマートフォンからデザリングで利用しています。

コジロウさん
「休みの日には、畑には子どもたちを連れていきますが、居心地がすごくよくて、2人とも農園の中を走り回っています。ここに来るとベテランの先輩たちとお話もでき、いろいろな事を教えてもらえますし、鶏や鯉などの動物たちと触れ合うこともできるので快適で楽しいです。」

▲弥富のイベントで「AMAKARA塾」産の野菜を販売するコジロウさんと息子さん(コジロウさん提供)

 

▲「AMAKARA塾」でテレワークする様子(コジロウさん提供)

 

弥富市に来たきっかけは東日本大震災

 

▲コジロウさんの友人が働いているという国道1号沿いにあるイラン料理のお店にて取材。マスター手作りの本場のイラン料理もおいしい。

 

――東京から弥富に来られたきっかけは何だったのでしょうか。

コジロウさん
「東日本大震災がきっかけの一つですね。2010年に結婚して翌年、震災に遭いました。当時の勤務先は品川でしたが、電車が動かず、  神奈川県川崎市の自宅まで徒歩で帰ったこともありました。その後、福島第一原子力発電所の事故が起きて、東京にいたら危ないのではないかと考え始めたんです。

もともと30代になったら地元に戻っていなかで子育てをしたいと思っていたので、転職活動を始めました。出身の伊勢で仕事ができないか、あるいはもっといなかに行くか。いろいろと仕事と生活環境を探し続けていて、名古屋の会社に転職先が決まり、名古屋市内に通勤できて、ゴミゴミしていない街という条件で探して弥富に来ました。以来、気に入ってずっと暮らしています。」

――転職先の会社ではどんなお仕事をされていたのでしょうか。

コジロウさん
「会計監査法人だったのですが、会計システムに不正がないかどうかを調査するためにシステムのことがわかる人間が必要とのことで、  入社しました。コンサルタント業務も経験し、トータルで6年間勤めました。」

 

創業者の思いに引かれ、「サイボウズ」に転職

――その後、「サイボウズ」に転職されたのですね。私、初めてコジロウさんを
  知人から紹介された時、「近所に『サイボウズ』で働いてる社員がいてね。
  畑もやってるのよ」と言われたことがとても印象的でした(笑)。

コジロウさん
「(笑)2020年に営業で入社して現在に至っています。サイボウズは国内ではクラウドサービスの草分け的存在です。社内サーバーが全盛だった時代に『これからはクラウドの時代になる』といちはやくソフトウエアやグループウエアのクラウド化に乗り出しました。要はスケジュール管理や掲示板、ノーコードなど、社内のコミュニケーションやチームワークを改善するために必要な共通のしくみを提供しているITの会社です。」

――なぜ、「サイボウズ」に転職されたんですか?

コジロウさん
「前職の業務中にサイボウズが提供している主力サービスのことを知って感動したのがきっかけですが、これに加えてサイボウズの創業メンバーである青野慶久社長に惹かれて入りました。ほかの多くの社員もどこかで理念や思いに共感して入ってきています。公明正大や100人いれば100通りの働き方を大事にしていまして、いろいろな意味で魅力的な会社です。複業(複数の仕事を同時にこなすパラレルワーク)OKというのも、サイボウズの大きな特長の一つだと思います。」

 

 

 

▲サイボウズで働く様子(コジロウさん提供)

▲プレゼンテーションするコジロウさん(コジロウさん提供)

 

 

コロナによって働き方の変更を余儀なくされ、地域に目を向けることができた

――新型コロナウイルスの拡大は世の中を大きく変えましたね。

コジロウさん
「はい、ぼく自身も変わりました。最初は普通に出社していましたが、やがて在宅勤務と半々になり、完全にテレワークになりました。そのため、普通に勤務していたら到底できないことも可能になりました。地域には弥富に来て2年目ぐらい(2015年)から、少しずつ関わるようになりました。

Facebook上で『弥富のお茶会』というグループを発見したのが最初です。弥富をもっと楽しくするために、町の魅力を発信しよう、という趣旨でした。当時、ぼくはいなかで子育てがしたくて弥富に来て長男は生まれたものの、賃貸マンションに住んでいては知人もできないし、平日は毎日名古屋に出社して弥富にはいないし、弥富に来た意味はあるのか、首都圏生活と何が違うのかと悶々としていた時期でした。それでさっそくグループに参加したんです。

グループでは『町の魅力を発信する前に、自分達がもっと弥富のことを知り尽くす必要があるよね』という話になり、『知ろう!弥富ツアー』が始まりました。ツアーは楽しくて勉強になりましたが、まとめてアウトプットする人がいなくて、参加者もツアーに行くことで満足しているという状態でした。

ちょうどその頃、埼玉県の秩父でWebメディアを始めた友人がいて、自分も情報発信をすることで、弥富で何か始めたいと思いました。そこで「やっとみつけた、弥富」(以下「やっとみ」)というローカルWebサイトをパッと一人で立ち上げて、町の人々や施設などを取材して弥富の情報発信を始めました。

そしたら一緒にライターをやりたい人や、一緒にイベントをやろうよ、取材に来てよという声がどんどん出てきて、今ではぼくも含め、5人が登録ライターで、ほかにお手伝いやアドバイスをしてくれる人が何人かいるチームでやっています。」

▲「やっとみつけた、弥富」の取材で「ミス弥富」の2人と写るコジロウさん(コジロウさん提供)

 

「ウォール・ストリート・ジャーナル」に取材されたコインランドリー女子

――――「やっとみ」の中に、「コインランドリー」というコーナーがありますが、
    これは何ですか?
    やっとみつけた、弥富 コインランドリー

コジロウさん
「これは面白いですよ。登録ライターの中にコインランドリーを生かしたまちづくりが大好きな方がいます。彼女はコインランドリーとその界隈が大好きなんです。最初に彼女から弥富界隈のコインランドリーについて情報発信をしたいからメディアを使いたいと相談がありました。正直ニーズはよく分かってなかったんですけど、好きに記事を書けばいいじゃないですかと発信を奨めたら、実はコインランドリー好きな人が全国にたくさんいることがわかったんです。ニッチな部分がウケたんですよね。

この辺では見かけませんが、東京などではカフェを併設したり、読書環境を整えたりと、ちゃんとしたコンセプトを持った過ごしやすいコインランドリーがいくつかあります。「やっとみ」の発信がきっかけで、彼女は各地のコインランドリーのイベントに呼ばれるようになりました。

さらに、日本のコインランドリーの実態を知りたいと、『ウォール・ストリート・ジャーナル』から取材を受けたんですよ。」

――それはすごいですね!

 

 

 

▲コインランドリー女子ミユキさん(コジロウさん提供)

 

大企業・終身雇用志望から月3万円ビジネスへ

――就職された当時と現在では、ご自身の職業観に変化はあったのでしょうか。

コジロウさん
「ぼくが上京した頃はいわゆるヒルズ族が注目されていた時期でしたね。ITで起業して、大金を稼いで悠々と生きる、みたいな。今思えばとても浅はかですけど(笑)。出身の学校でも大手企業に就職して、定年まで、という終身雇用が当たり前と考えられていました。

ぼくも20歳で上京して一旗上げようとギラついていましたが、具体的に学んでいくうちに、自分はそうでもないなと思ったんです。東京にいてマネーゲームみたいなことをやればやるほど、こういうことは自分には興味がないと感じました。カメラやパソコンも好きで、25歳ぐらいで友人と映像制作の仕事を始めました。仕事も一つではなく、複数ある方が楽しいと思うようになりました。

そうやって自分の生き方をあらためて模索し始めた頃、『月3万円ビジネス』という本を読んで感銘を受け、伊藤洋志さんという方が開講しておられたビジネス講座に通い始めました。伊藤さんは日々生計を立てるために生活から生み出される一つ一つの仕事を”ナリワイ”と銘打って、いろいろな活動をされています。」

――月3万円ビジネスって何ですか。

コジロウさん
「月に3万円しか稼げないビジネスのことです。少額しか稼げないので、競争相手も少ないかわりに、この手のビジネスは非常にたくさんあります。10個兼業すればトータルで月30万ぐらい稼ぐことも可能です。一つの仕事で月30万稼ぐのは、ライバルも多いし、とてもハードです。でも月3万円のビジネスなら他人と競合しないで済む。みんなで頑張ろうと高め合える。その方がいい。そんな生き方があることに気づきました。」

――昔の農山村の仕事の実態に通じるところがありますよね。

コジロウさん
「それと同じことを講師の伊藤さんもおっしゃっていますね。昔のお百姓さんは田んぼや畑でお米や野菜を作るだけではなく、川で魚を捕ったり、山に木を植えたり、伐ったり、山菜を採りにいったり、冬はほかの方の仕事を手伝ったり、複業をしながら生計を立てていて、それが当たり前でした。今も農村にはそういう方がいらっしゃると思いますし、複業のできる環境があるのだと思います。

弥富に来てからぼくも畑を始めました。趣味程度ですけど、自由に生きていくにあたって、食べ物をつくる手段を持っていることは強いと思います。地域の活動はそんなにビジネスにしたいという気持ちはなくやっていますが、直接的には無償ボランティアの活動でも、そこからの関係性と信頼性で有償のお仕事につながったりすることもあり、本業のほかにも小さな”ナリワイ”をいっぱい作ってタネを撒いておくことは楽しいと思います。」

ありのままの自分を求められる場所

――畑で野菜を作る話から生き方の話になりましたね(笑)。

コジロウさん
「お金をたくさん稼ぐことを目指したこともあるのですが、ぼく個人の価値観としてはそれが自分の中での1位じゃなかったんです。何が1位なのか、まだ探しています。それなりの立場でポジショントークをする仕事もしてきましたが、立場上、自分の思いに反することも言わなければならない場合も出てきます。また、結果的に相手を傷つけてしまうかもしれない。もちろんそうすることが正しくて、やりがいと幸福感を感じる方もいるでしょう。

ただ、ぼくの価値観としてはそれがはたして幸せと言えるのか、自問自答したこともありました。時にはぼくにできることもできないこともあるし、曖昧な対応をする場合もありますが、ありのままの自分を知ってもらって、それでもいいと認められる場所や仕事が好きですね。

ぼくは0を1にするような、何もないところから新しい何かを生み出すことは苦手で、誰かが1にして生み出そうとするものに対して提案やアドバイスをすることで、1を10や100に近づける方が好きだし、得意ですね。」

――ありがとうございました。

▲ロードバイクもコジロウさんの趣味の一つ。自転車に興味を持ったのは幼少期からで、お父様の影響だそう。弥富から岐阜県の南濃町まで自転車で走り、二ノ瀬峠を越えて三重県のいなべ市に出て弥富まで戻るコースがお気に入り(コジロウさん提供)

 

取材を終えて

コジロウさんの友人がお勤めされているイラン料理店での取材となりました。リラックスムードの中、とても率直にいろいろな質問に答えていただきました。同時にお友達や地元の知り合いの方をとても大切にされている印象を受けました。

弥富はコジロウさんにとって第二の故郷になりつつあるようです。名古屋市の近郊にあってほど良くいなかで、ほど良く都会。近鉄やJR、名鉄も通っており、公共交通の便も良く、郊外は耕作できる畑もある。大型のショッピングセンターで買い物もできるし、医療機関なども充実している。まさに子育てしながら生活するのにふさわしい町と言えるでしょう。

そんな中でコジロウさんは自分の生き方を模索しています。その姿はとてもいきいきとして輝いて見えます。そこにはコジロウさんのしっかりとした主体性があるからだと思います。仕事も暮らしも趣味も、自分の意思で選び取り、幸せな未来を掴み取る。それこそがこれからの私達に必要とされる生き方のように思います。

▲「AMAKARA塾」のコジ農園でジャガイモを収穫するコジロウさん。シソ、トウモロコシ、キャベツ、ジャガイモ、ネギ、トマト、ニンニク、スイカなどを育てている。手前のマリーゴールドは花が好きなお子さんが植えたもの。

 

【取材対象】
小島雄一朗さん
やっとみつけた、弥富 https://yatomi.localinfo.jp/

【取材・文・撮影】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎