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和菓子と洋菓子、2つの屋号がある笠松の和洋菓子店

和菓子と洋菓子、2つの屋号がある不思議なお店

岐阜県の木曽川沿いにある笠松町。地方競馬で知られる町だ。
江戸時代には幕府直轄の陣屋もあり、
明治時代初期には岐阜県庁があったということで、
かつて繁栄した面影が今も残る、懐かしさが漂う街。

昔ながらの古い家並みやお寺のある道を、きょろきょろしながら歩いていく。
すると、ひとつの店に2つの屋号が記されたお菓子屋さんを発見。
「四ツ角屋」と「パティスリー小菊」とある。
ひとつの店に2つのお店が入っているのか?
和菓子屋なのか、洋菓子屋なのか?

店舗の古めかしさと看板の不思議な表記が気になり、
勇気を出して玄関を開け、「ごめんください」と大きな声で呼びかける。
しばらくすると、奥から、元気いっぱいの女将さん(社長夫人)が現れた。

お店のショーケースを見ると、和菓子と洋菓子。
ショーケースには見た目も懐かしい和洋菓子たちが丁寧に並べられている。

繊維産業に支えられた和菓子卸から、小売り業へ転換

このお店は、四ツ角屋という和菓子屋から始まる。
昭和9年に創業。近所にあった四角屋という和菓子屋(現在は砂糖卸)で
修行した初代が独立して始めたとのこと。

当時は砂糖もなく、甘味料を使ったふかし饅頭がメインの商品。
素朴な饅頭が地元の人々に支持された。

戦後、この界隈では、繊維産業がさかんとなり、
多数の女工さんたちが笠松の工場に来て働いていた。
その人たちの毎日のおやつとして、四ツ角屋の饅頭は人気があった。
毎日家族みんなで饅頭をつくり、番重を自転車に重ね乗せて売り歩いた。

店舗をもたず、作っては会社へ店へと売りに行くというスタイル。
当時賑わっていた競馬場の店舗でも人気商品に。
「あたり餅」という商品が人気で、笠松競馬といえば「あたり餅」と言われた。
作っても作っても売り切れる、そんな昭和30年代が過ぎた。

昭和40年代に2代目が後を継ぐと、卸ではなく、小売りを開始する。
これは大きな転換点となった。
饅頭、ういろう、草もちなど、和菓子屋としてのラインナップも揃えながら、
年末年始用の餅の注文も行うなど、通年、地域の人々に長く愛されてきた。
素材にこだわり、シンプルで素朴な美味しさを追求していた。

 

3代目が洋菓子の修行へ

現在、社長をつとめる葛谷昌彦氏は、この和菓子屋の三代目として、
幼少の頃から跡取りになるべく、教育されてきた。

高校を出ると「当然、和菓子屋へ修行」と思っていた親の希望と異なり、
洋菓子店へ修行に出る。
当時、岐阜の洋菓子店として大人気を誇っていた柳ケ瀬の有名店だ。
その店で六年半の修行を積んだ。

そして、洋菓子を作り、「四ッ角屋」の店頭に並べるようになった。
これがもうひとつの看板である、「パティスリー小菊」のはじまりだ。

時代の変化とともに和菓子だけでなく、洋菓子も販売する。
伝統を否定せず、受け継ぎながら、新しいことも取り入れる。
これが三代目の流儀。

地元の人々にとって買いやすい価格で美味しいものを提供する。
饅頭1個とケーキ1個の値段がかけ離れていると、お客様は買いづらい。
和菓子も洋菓子も両方扱うが故の価格戦略が重要だ。

素材にこだわり、出来るだけシンプルで素朴な美味しさ。
というコンセプトで長年営業してきた四ツ角屋に、
小菊の洋菓子が並んだ。

中学生とのコラボレーションで生まれた笠松町の名物

三代目は和菓子と洋菓子の二刀流で営業していたが、
さらに忙しくなる。

きっかけは、地元笠松中学校の総合学習の授業。
中学生たちが笠松のお土産品を考えるという企画があった。
中学生たちは、「笠松といえば競馬」だから、
馬の蹄鉄のカタチのクッキーを作ってはどうかというアイデアを考案。
笠松町から三代目に「これを商品化してほしい」という要望が寄せられた。

三代目は、そうであれば、この企画は単独ではなく、
笠松町内の菓子屋全員でやる方が、町おこしになると考えた。
地元の菓子組合8社に声をかけ、一緒にこの商品を完成させた。

中学生と笠松のお菓子屋さんとのコラボ商品「蹄鉄クッキー」の誕生だ。
このクッキーは、「馬くいく(うまくいく)」とのキャッチコピー入りで、
縁起物として受験からさまざまな場面で愛用され、老若男女に人気。
笠松駅や町内の菓子屋で販売され、今では笠松の名物として定着。
発売10年ですっかり町の顔になった。

発売当時、中学生のアイデアを商品化したことが地元紙にも掲載され、
この取り組みが内外の人に知られるようになった。

この評判から、さらに新たな商品が生まれた。
地元の高校生とのコラボで生まれた「笠松ロール」だ。
馬といえばニンジンということで、キャロット入りのロールケーキ。

こちらも高校生とのコラボ商品として、今も学校祭で継続販売され、
「先輩たちがつくった笠松のお菓子」として時代を経ても、
学生たちに支持されているそうだ。

 

先代が遺した財産を活かして、笠松のおいしさを届ける

棚に並んでいるのは、昔懐かしいショートケーキ、マロンケーキ、
チーズケーキ、シュークリーム、ラム酒をたっぷり使ったサバラン。
一度食べたらまた食べたい。いつ食べても素朴で美味しい。

好きではじめた洋菓子の挑戦が地元中学生とのコラボにつながり、
若い人に知っていただくきっかけにもなっている。

「先代が遺してくれた仕事を大切に守りながら、
 工夫しながら、楽しみながら、笠松発のおいしさを夫婦で切り開いていきたい。」
と葛谷夫妻の熱き優しき思いがあふれている。

ちなみに四代目は東京で修行中。
とことん地元にこだわり、とことん自分たち流で。
笠松で、「町のお菓子屋さん」のあるべき姿を、改めて教えられた。
世代を越えて時代を越えて、町の専門店よ永遠に!と、心から応援したい。

協力:四ツ角屋 パティスリー小菊(葛谷正彦&美穂夫妻)

 

筆者 今尾昌子  コミュニケーション・クリエイター
企業のマーケティングコミュニケーションおよび広報活動の指導や支援活動を行う。特に中小企業の発信力強化に尽力。企業相談や勉強会講師はもとより、ラジオナビゲーターとして中小企業の発信の場づくりに取り組むなどユニークな活動も展開。指導してきた中小企業はのべ1000社以上。認知度向上、企業の活性化に現場目線で取り組む。岐阜市出身。グラン・ルー代表。
公式サイト http://www.mahsa.jp