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「生誕125年・没後30年 北川民次とインスタレーション 瀬戸の風景」 瀬戸本業窯 八代 半次郎後継 水野雄介氏講演レポート

日本の伝統文化をつなぐ実行委員会は、
文化庁受託事業の「中京歴史文化遺産活性化事業」に採択されており、
2019年度は「スピリット 文化遺産がつなぐ」と題して、
複数の講演・上演・展示を予定しています。

今回はこの主要企画の1つ、2019年7月27日(土)~30日(日)に開催された
「北川民次とインスタレーション 瀬戸の風景」の1日目、
瀬戸本業窯 八代 半次郎後継 水野雄介さんの講演をレポートします。

 

「北川民次とインスタレーション 瀬戸の風景」の趣旨

世界的な工業地帯である愛知県のものづくりは、窯業から始まりました。
瀬戸の窯業は鎌倉時代に始まり、江戸時代には、尾張徳川家の初代当主義直が
瀬戸の陶工を特別に処遇して御用達とし、瀬戸の陶器は徳川文化を彩りました。

生誕125年・没後30年を迎える世界的な洋画家の北川民次は、この地に暮らし、
瀬戸のアトリエで「瀬戸の風景」を描きました。

そこで、本企画では、北川民次が描いた瀬戸の風景のインスタレーション展示と、
7月27日は瀬戸本業窯 八代 半次郎 後継の水野雄介さん、
7月28日は北川淑子さん(北川民次長男夫人)と
市川櫻香さん(日本の伝統文化をつなぐ実行委員会)の講演により、
北川民次の「瀬戸の風景」から今へと続く
愛知県のものづくりの歴史を振り返ることを目的としています。

会場では北川民次が描いた瀬戸の風景を、プロジェクターを使ったインスタレーションで表現

 

瀬戸本業窯 八代 半次郎後継 水野雄介さんによる講演

 

●瀬戸の陶業の歴史

 

皆さんは、愛知県のやきものの原点はどこかご存知ですか?

実は名古屋です。NHK「ブラタモリ」でも紹介されていましたが、
名古屋市の東山動植物園付近です。
そこから、北に移った人たちが瀬戸に、南に移った人たちが常滑に、
それぞれ焼き物の産地をつくりました。

焼き物を作るには、土、木、水、人の4要素が必要です。
焼き物をする人たちは、これらが不足すると、新しい土地を求めて移動しました。
瀬戸や常滑に長く留まったのは、これらの要素、特に粘土が豊富にあったからです。

今は、瀬戸では山を削り、かつて山があった地下の部分を掘っています。
瀬戸の土の特徴は白いことです。不純物が少ない花崗岩の粘土です。
このような土は全国でも瀬戸と美濃にしかありません。
300万年前に日本が大陸にくっついていたときの地層です。
つまり、焼き物は300万年の時間をかけて、風化した土を使っています。
風化した途中段階の長石と、籾殻や藁の灰、アカマツの灰を釉薬に使っています。

北川民次が描いた瀬戸の山(採掘場)

現在の瀬戸の山(採掘場)

 

かつて、日本では野焼きで焼き物を作っていました。
穴を掘って、焼き物と草を入れて燃やす方法です。
やがて5世紀以降、朝鮮半島から日本に登り窯が伝わりました。

焼き物に釉薬を塗って焼く釉薬陶器は、日本では平安時代に瀬戸で初めて作られました。
鎌倉時代になると、鎌倉幕府から依頼されて瀬戸で釉薬陶器が盛んになりました。
この頃の焼き物は「古瀬戸」と呼ばれています。

北川民次が描いた陶工(版画)

室町時代には、瀬戸では日常的な食器が作られていました。
戦国時代になると、瀬戸の陶工たちが戦乱を避けて美濃に疎開し、
美濃では戦国武士たちが好んだ抹茶茶碗が盛んに作られました。
それが志野、黄瀬戸、瀬戸黒、織部です。

江戸時代になると徳川義直の命により、
美濃に疎開していた陶工たちを瀬戸に呼び戻しました。
そして大衆文化が育つようになり、
日用品としての石皿、馬の目皿、行灯皿、麦わら手などが作られました。

手前:麦わら手、奥:馬の目皿

明示時代になると、当期だけでなく磁器が大流行しました。
加藤民吉が九州で学んで持ち帰り、瀬戸でも磁器製造が盛んになりました。
陶器を本業、磁器を新製と呼ぶようになりました。
簡単に言うと、陶器は柔らかく厚い、磁器は薄く硬いという違いがあります。

陶器を作っていた人達はこれに対抗して、海外向けのタイルを作り、輸出を始めます。
大正時代になってから、国内向けにもタイルが生産されるようになります。

戦後、陶器生産にも機械が入り、大量生産が行われるようになりました。
大量生産の茶碗が「瀬戸物」のイメージとなったのは、そのためです。

また、明治時代から瀬戸でもセラミックス(ファインセラミックス)が
作られるようになりました。瀬戸の土には鉄分含有量が少ないため、
碍子をはじめ、電流が通る様々な機器の絶縁体などに使われています。

北川民次が描いた瀬戸の風景

 

●瀬戸本業窯と民芸との関わり

 

瀬戸本業窯は創業250年が経ち、当主は代々、半次郎という名前を襲名しています。
現在、私の父が7代目半次郎であり、私は第8代を継ぐ予定です。

祖父の6代目半次郎は、民芸運動を起こした柳宗悦や、
民芸運動に携わったバーナードリーチ、浜田庄司らと交流がありました。

柳宗悦は昭和初期に、それまで誰も見向きもしなかった、
生活の中で使う道具を作る職人の仕事にスポットを当て、「民芸」を提唱しました。
民芸とは「民衆的工芸」からとった造語で、民の、民による、民のための工芸のこと。
焼き物、漆器、鉄器、革細工など、生活に必要な道具を作ることです。

私たちはもともと、土地にある材料を用いて職人が道具を作り、
人々はそれを使って生活していました。

しかし、柳宗悦は、戦後、資本によって支配され機械化されることを予想し、
職人が生きていく道が無くなってしまうことを危惧しました。

そこで柳宗悦らは、民芸に光を当て、
日本中の職人に会って励まして回ったのです。
私の祖父の6代目半次郎もこれに共鳴し、瀬戸の民芸運動に関わりました。

北川民次が描いた陶工(版画)

(瀬戸本業窯は長く続けるために、あえて規模を大きくしていません。
お金を稼ぐ目的なら、大量生産をする方がよいでしょう。

しかし、大量生産をするために機械を導入すると、
人が作らなくなり、人から離れていってしまいます。
材料は、本来自然物を使ってきたものが、安価な合成物に変わっていきます。
そうすると、これまでの製品と比べて、材質、見た目、考え方が変わってしまいます。
お金を稼ぐ目的のための大量生産となり、
生きていくために必要なモノづくりではなくなります。

私たちは、人が、人のために作るということを、
見失なわないようにしたいと考えています。

瀬戸本業窯は創業から250年経つので、時代によって変化していることもありますが、
大事な部分は変えてはいません。
一方で、人に使っていただくものですので、時代のニーズに応えることも大事です。
そのあたりの「さじ加減」を間違わないように、当主は判断をしています。

私たちが作るものは、食卓に並び、食べ物が載せられ、団らんがあるというような、
使うための道具だと考えています。
使うことに価値を置き、使いやすい器を作ろうとしています。

 

●陶器ができるまで

 

陶器を作るには準備が必要です。
土は半年~1年前から調達し、寝かして仕込みます。
寝かせると、微生物が増えて伸ばしやすくなります。
寝かせが終わったら土練機に入れて混ぜて粘土にします。
土練機に入れる日は、5人でやり、1人が1日に4トンの土を持ち上げる重労働です。

釉薬に使う長石は掘りに行きます。今は似たようなものが売っていますが、
従来のやり方を守り、自分で採取に行き、仕込み、作るスタイルを踏襲しています。
釉薬は昔から使った分を継ぎ足して使っており、
100年以上途切れたことはありません。
空にしてまた次のものを作ると、変わってしまいます。
継ぎ足すことで、完全に変わることを避けています。

ろくろは、今は電動で回して作っています。

模様は手で描いています。1ヵ月、8人で2000個の陶器を作ります。
分業体制で、馬の目皿の目の模様だけを描く人、線だけを描く人、と分かれています。
例えば、馬の目皿を描く人は、うちで働き始めて12年になりますが、
これまでもこれからも、この作業しか担当しません。

瀬戸本業は瀬戸で最後まで登り窯を使っていましたが、
昭和54年を最後に登り窯は使われなくなりました。
瀬戸の山の木を伐りつくしてしまったためです。
油窯に替わり、今ではガス窯が使われています。

瀬戸本業窯にある登り窯の跡

販売は百貨店の食器売り場に売っています。
最近はBEAMSのライフスタイルショップでも扱われています。
モノが作られる背景を理解していただいている
インターネットショップでも販売しています。

 

●モノが作られた背景にある考え方で選ぶ価値観

高度成長は大量生産で日本は経済成長を遂げてきました。
しかし、工業製品や大量生産を全て否定するのではありませんが、
これだけモノが余っていて、廃棄物の問題が深刻な時代になっています。
大量生産の安価なモノがどこまで必要か、
ということを考える必要があるのではないでしょうか。

気に入ったもの、大切にできるもの、質感として気持ちよいかどうか、
人が手で作ったものかどうか、モノが作られた背景にどのような考え方があるか、
これらが今の時代の価値の置き方になっているように思います。

今は、大量生産のものから手作りのものまで混在しています。
自分が生きていくために必要なものは何かを問うことは、
自分がどう生きていくか、ということに繋がります。
これは、作り手、買い手、売り手の皆が考えていく必要があります。

もし、使い続けたいと思うモノが見つかれば、手に取ってもらい、
日常の中に当てはまりそうなら、使ってみればよいと思います。
そして、モノを通して、その背景にある考え方を知ってもらえればと思います。

 

最近は瀬戸もベッドタウン化が進み、瀬戸市内で暮らしている人の中でも、
焼き物の産地で暮らしているという実感をしにくくなっています。
まずは地元にある瀬戸のこと、瀬戸の焼き物のことを知ってもらえればと願っています。

近隣会場のベーカリーSURIPUでは期間中、北川民次が描いた陶工の絵が展示されました

 

まとめ・告知

中央:瀬戸本業窯 八代 半次郎後継 水野雄介さん、右:市川櫻香さん、左:柴川菜月さん

水野さんの講演から、モノを買うときに物質的に満足するだけでなく、
それが作られた背景の考え方からモノを選ぶ価値観や、
自然とともに持続可能な生き方をすることについて、考えさせられました。
また、地域に伝統的な産業があることは、地域の価値であり、誇りになるものですが、
それを知らずに過ごすのはもったいないことだと、改めて気づかされました。

さて、「日本の伝統文化をつなぐ実行委員会」では、
「スピリット 文化遺産がつなぐ」と題した今年度の事業の中で、
今回の「瀬戸の風景」の展示・講演の他に、次の催しを行います。
日本や愛知県に伝わる伝統・文化を通して、私たちの生き方を考える機会になります。
詳細は後日、ホームページやFacebookでご案内される予定です。

「平家物語『語る』」~歌舞伎、狂言、長唄の流派を超えたコラボレーション
 日程:2019年9月28日(土)(詳細未定) 
 会場:愛知県芸術劇場小ホール
 出演:歌舞伎役者 市川新蔵、狂言師和泉流 佐藤友彦、長唄吉住流 吉住小三代、市川櫻香

「尾張の文化財と神仏」~1300年前の薬師如来50年ぶりのご開帳と芸能奉納・講演・映像
 日程:2020年3月14日(土)、15日(日) (時間未定) 
 会場:醫王山 寂照院 高田寺(愛知県北名古屋市高田寺屋敷383)

ホームページURL  https://d-tsunagu.amebaownd.com/
Facebook https://www.facebook.com/dentoutsunagu/

日本の伝統文化をつなぐ実行委員会
住所 : 〒460-0012 名古屋市中区千代田3-10-3
電話 :  052-323-4499
FAX :  052-323-4575

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