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「からむし」伝道師の挑戦は、十日町から海外・次世代へ

「からむしって何? 虫の名前?」が出会いの始まり

 「からむし」という言葉、ご存じでしょうか。「聞いたことがある」という方も増えてきているかもしれません。「からむし」とは植物の名前です。一説によると、縄文時代に中国大陸から、朝鮮半島を経て、日本に伝わった植物といわれています(苧麻(チョマ)という別名もあるそうです)。麻織物の原材料となる植物です。

 「からむし」の知名度が高まったのは、おそらく一人の男性が「からむし」に賭ける情熱と行動が実を結んできたのではないかと思います。私がその方(お名前は村山さん)に初めて会ったのは、15年ほど前のこと。当時はまだ、「からむし」の認知度は低かったため、「からむしは虫ではない」ことを説明するために、瓶に入った育成中の「からむし」を持参され、「からむし」のことを熱く語っておられたのが印象的でした。

 この村山さん、もともと新潟県十日町市で着物販売を生業としていましたが、将来の着物業界のゆくえも気になりつつ、新たなビジネスを模索していました。そんななか、とあるきっかけで「からむし」という植物が地元で奈良の時代から栽培されていることを知り、興味を持ちました。上杉謙信がこの地でこの「からむし」の栽培を奨励し、地元の発展に寄与したということに感動を覚え、そこから、からむしの研究、栽培を開始しました。

 「からむし」にはさまざまな成分があり、そこに可能性を感じました。「からむし」を十日町の地場産業として育てることを夢見て、20年前に会社を設立、起業しました。48歳からの新たな挑戦でした。

 

 天然繊維として、食品としても優れた成分をもつ、からむしの魅力を発掘

 もともと着物の生産地として有名な十日町に、「からむし」は奈良時代に伝わり、以後、さかんに育成されていたといいます。ただ、この植物を糸にして、織物にするには職人の高度な技術が求められます。明治以後、着物づくりも機械化され、手軽な化学繊維が好まれてくると、この「からむし」の存在感は薄らいできました。

 その存在感を、再び蘇らせたのが、村山さんです。「からむし」の歴史にロマンを抱いただけではありません。からむしの分析を新潟県工業技術総合研究所などに依頼し、素材として、天然繊維として素晴らしい良さがあることを発見しました。これを商品にして、健康で快適な生活のお手伝いをしようと考えるに至りました。

 「からむし」は、繊維としては人にやさしく、大変丈夫です。吸湿性、放湿性、通気性、保温性、耐久性にもすぐれる天然繊維で、季節を問わず、人の肌をやさしく守る特徴があります。それにとどまらず、からむしの葉や茎は大変栄養価が高く、食用にも向いていることを発見しました。村山さんのからむしビジネスは、発想豊かに広がっていくことになります。

 最初は、シーツやタオル製品などを商品化し、首都圏でのイベントなどを通じ、着物ではない新たな時代の「からむし」製品を販売開始。同時に、「からむしの良さ」を伝えるべく、広報活動にも積極的につとめ、地元メディアから全国版、異業種のメディアにまで多く取り上げられ始めました。

 フットワークの軽い村山さんは、各地を巡り、からむし伝道活動を続けるなか、「からむし」の葉を使った、お茶やうどんを商品化します。このうどん「からむし麺」は、一度食べたら忘れられない、なめらかなのど越しで、リピーターも多く、今や当社のロングセラー商品に育っています。

 さらには、このからむし素材を使った、クールビズシャツ「カラクルシャツ」も商品化、地元十日町市役所等でのユニフォームとしての活用をはじめ、日常に着る「からむし」も浸透。今年はさらに軽量化に挑戦するとのことです。

 大河ドラマ「天地人」の原作者 火坂雅志先生が「からむしは雪国のこころ」と、村山さんに書いて下さった色紙の言葉を胸に、からむし伝道の旅が続く。

 

軸足はしっかり地元に置きつつ、全国・世界・未来へ

 からむし麺をはじめとした、からむし製品を全国に発信し、様々な展示会にも出展するうちに、「からむし」の知名度が高まってきました。さらに、韓国やシンガポールなど海外でも販売、一定のファンを得ています。

 一方、地元十日町市は「大地の芸術祭」として知られています。開催時期には全国世界から多くの観光客が集まります。自由な発想の作品たちが大自然と融合するその活動に、「からむし」も参加しています。村山さんと出会った東京の学生たちが、「からむし」にほれ込み、十日町に来て作品を作り展示します。「からむしの部屋」なるものを作り、観光客にアートとしてのからむしを知ってもらう機会を創りました。

 さらにもっと若い世代へということで、この数年、地元の小学校の3年生の総合学習授業に「からむし」が採用されています。村山さんは小学生たちに「からむし」の話をし、一緒に栽培をしています。

 そしてこの小学生と大学生のコラボも実現しました。若い世代が「からむし」を通じて大地のコミュニケーションを楽しむ様子は、微笑ましくうれしくなる光景です。村山さんが目を細めてその様子を見守る姿が浮かんできます。おかげで、地元の子供たちには「からむしは、虫じゃないよ、葉っぱだよ~」とすっかり浸透しているとのこと。「からむし」が、町を挙げての生きた教材になっています。

 20年間、さまざまな商品を通じて、「からむし」の良さを伝えることに奔走してきた村山さん。「いろんなところへ発信しましたが、結局は謙信にゆかりの場所で一番売れるということもわかってきました。地元でしっかり根を張っていくことが大切ですね。」

 最近では豆、さるなしなど、からむし以外の地元素材を使った製品も地元の生産者とともに商品化し、機会あるごとに地元をアピールしながら、「からむし」を知ってもらう戦略も考えているとのこと。

 着物の町十日町から、その素材として古き時代に親しまれた「からむし」を、現代人の暮らしにマッチした新たな商品として、多くの仲間と切磋琢磨し続ける村山さんの仕事ぶりは、まさに「からむし伝道師」。モノではなく、地域の歴史をロマンを伝えて、人々に元気を与えています。

 最後に社名の「ネオ昭和」。平成11年に生まれたこの会社は、昭和時代のモノはなくても心豊かな交流、人間関係があった、あの時代を大切にしたいとの思いも込められているそうです。これからも「ネオ昭和」式で、伝道を続けていただき、次世代にも親しまれる「からむし」を育てていただきたいと願います。

 

協力 ネオ昭和  http://www.karamushi.jp/

 

筆者 今尾昌子  コミュニケーション・クリエイター
企業のマーケティングコミュニケーションおよび広報活動の指導や支援活動を行う。特に中小企業の発信力強化に尽力。企業相談や勉強会講師はもとより、ラジオナビゲーターとして中小企業の発信の場づくりに取り組むなどユニークな活動も展開。指導してきた中小企業はのべ1000社以上。認知度向上、企業の活性化に現場目線で取り組む。岐阜市出身。グラン・ルー代表。
公式サイト http://www.mahsa.jp