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市場が激変する中、生き残りをかけた酒販店と酒販卸店の取り組み

 かつては、酒は酒店で買うもの。酒店は商品を問屋から卸すものだった。メーカーは問屋相手に営業するもの。四半世紀前まではそんな図式が酒販業界の常識だった。メーカーと顧客の間には何層かのチャネルがあり、酒類業界は既存の体制に保護されていたともいえる。問屋には黙っていても、酒販店や料飲店から注文が入る。メーカーからは手厚い販促策が提案された。

 しかし、この20年間で、酒類の流通は激変した。カテゴリーキラーの店舗ができることで、小売りのプロさえも問屋不要となり、さらには顧客自身も小売店を通さず、インターネットで全国から好きなときに好きなものが選べて、重い酒を配達してくれる。さらに、外で酒を飲む人は減るという飲酒文化の衰退もあり、酒類販売の道は厳しさの一途にある。

 そのような中、酒販店と酒販卸店の2つの生き残りをかけた取り組みを紹介する。

 

自身で半壊、崖っぷちから、ロケーションを活かした再生を図る酒販店

 その酒販店との出会いは、平成19年の中越沖地震から2年経過したころ。そのお店はまさに青海川鉄道が走る海抜50メートルの崖に立っていた。中越沖地震で160年の歴史を有する酒屋が被害を受け、自宅兼店舗も大規模半壊、お隣は全壊。やむなくしばらく仮設住宅生活を送ったという。

 

 その被災を乗り越え、2年後新店舗を建築、営業を再開することになる。まさに崖っぷちからの出発だ。地震がきっかけとなり、お店を新しくした。どうせやるならということで、2階を開放し、ギャラリーに仕立てた。地元のいろんな作家に貸し出して作品展示を行い、いろんな人に寄ってもらえる、ちょっと珍しい観光酒屋を目指した。

 さらに当店は、この崖の上に立地することも売りにした。日本海を真下に、さらには店の真下(崖の下)には、鉄道ファンにはたまらない、青海川駅があり、日本海沿いに走る列車を眺めるにも最高のロケーション。震災後、新築することになり、この店のロケーションに改めて気づきお店の特徴として、売り出すことになるのだ。

 当店では早くからネット販売を行っていたが、この店舗新築にあたり、いかに来店客を増やすかに知恵を絞り、女将と娘が二人三脚で新しい酒販店の在り方を模索し続けてきた。ギャラリーでの鉄道写真展や、地元作家の作品展示によって、いろいろな客層をお店に呼び寄せる。震災後の再生を図るこのお店の挑戦はメディアにも再三とりあげられ、話題を集めるようになっていった。その後、5年間で60回の作品展を行った後、もっと気軽な手造り雑貨などのレンタルスペースとして展開、気軽に多くの人が交流できる工夫を重ねた。引き続き営業は厳しいという。でも、何かしないといけない。やらなければ始まらないと、女将も娘も奮闘を続ける。

 このお店では、観桜会や鮭の豊漁まつりなど季節の行事を連続企画しながら、地道にファンづくりを行っている。東北の応援も忘れない。崖っぷちからの復活から10年。まだまだ課題があるが、ユニークな広報誌発行や女将のSNS発信で元気を維持している。

 

異業種への参入、酒販店にも業務を委託し、生き残りを図る酒販卸店

 

 もう1つは、酒販店卸のお店。70年以上営業されているそで、地域密着の信頼の商売を積み上げてこられたのだろう。もともと地酒に強い問屋であったが、近年の日本酒離れもあり、問屋業に依存せず、ネットでワイン類の直販もはじめていた。でも、ワイン専門店や大手量販店の品揃えにはかなわない。得意先である酒販店も高齢化の影響を受け、閉店する店が増え、ますます問屋業の維持は厳しくなってきた。

 何か新しいことをと、3代目女将が思案しているところに、4代目の息子が新たな発想を持ち込む。まずは今流行りのスマホの修理。地方では修理できる店がそんなに多くない。路面店であるため、看板を出しておくことで、信号待ちの通行客の目に入り、修理依頼の来客が増えてきた。その勢いで、新しいことをするなら今だ!ということで、次に始めるのが、内職の受託業サービスだ。

 モノづくりに生じるさまざまな内職を引き受け、地元のシニアや、酒販店にも業務を委託するという。内職ならば、シニアにもできる仕事だ。この内職受託業であれば、地元だけでなく、広範囲な取引も可能だ。できれば地元に限らず、県内や近県からのいろんな工場からも依頼を受けたい。

 モノづくりには袋詰めやちょっとした作業が必要だ。企業にとっても、人を雇うまではいかないけれど、ちょっと手が足りない、やってほしいという作業は多く、その需要もある。その内職作業を一手に引き受けることができるのは、酒問屋を長年営んできたという実績からくる信頼と責任感である。ここなら安心して任せられる、と発注する相手にも、また働き手にも思ってもらえる・・・長年の問屋業での実績がここにも活きている。

 作業場はお酒の倉庫。大きい倉庫がまさか内職の現場になるとは驚きだ。使えるものはフル活用する。この発想が新事業の着手に弾みをつけた。今、地元の元気なシニアたちが、すでに内職スタッフとして登録され、請負体制は整いつつある。スタートしたばかりの内職受託業であるが、さすが四代目の視点だと、三代目女将も元気に新たな事業に意欲を見せ、奔走している。問屋の生きる道は、異業種への参入。そして酒販店の副業にも貢献できることを目指す。さすが老舗問屋、お世話になった関係者を大切にしようという姿勢が、強く印象に残る。

 

専門店の役割が変わる時代。人の交流や活力を生み出す拠点としてどう踏ん張れるか。

 

 大型量販店やインターネットショッピングの勢いが増す中、小さな酒販店たちはどう生き残るのか。そして酒販店を支えてきた問屋はどうなるのか。先の酒販店も、酒販卸店も、独自の視点で挑戦を続けている好例だ。

 酒販店や酒販卸店は、もともと酒のプロであるため、酒のことだったら、なんでも教えてくれることも専門店の強み。最近ではネットで様々な情報を調べることができる・・・という声ももちろんあるが、それでも専門店には専門店の個性があり、こだわりがある。話を聞きたい、教えてもらいたい、顔を見に行きたい・・・。インターネット流通の時代になればなるほど、一方で、顔の見えるリアルなコミュニケーションを求める顧客も多くいる。だから、情報発信を続けること。これが生き残りには絶対不可欠だ。人と人を結ぶ小売店の、さらにはその業界のプロとして問屋としてのターゲットへのコミュニケーションが、「繋がりづくり」がこれからの道を開くのだと思う。専門店の兼業。これは彼らが生き抜くうえで、新たなビジネスモデルになるだろう。

 キーワードは次世代との対話、協働、協力だ。既存の商売を維持するだけでなく、新たな道を一緒に作ること。それをできる専門店こそが、これからも歴史を刻み続けることだろう。日本を、町を地道に支えてきたこれらの小売店たちや地域でがんばってきた問屋さんたちに対し、新しい目線をもちながら、これからも熱きエールを送り続けたい。

協力 酒の新茶屋   http://www.oumigawa.com/

   大和飲料    https://www.yamato-drinks.com/

 

筆者 今尾昌子  コミュニケーション・クリエイター
企業のマーケティングコミュニケーションおよび広報活動の指導や支援活動を行う。特に中小企業の発信力強化に尽力。企業相談や勉強会講師はもとより、ラジオナビゲーターとして中小企業の発信の場づくりに取り組むなどユニークな活動も展開。指導してきた中小企業はのべ1000社以上。認知度向上、企業の活性化に現場目線で取り組む。岐阜市出身。グラン・ルー代表。
公式サイト http://www.mahsa.jp