東海地方発、世の中にインパクトを与える企業・団体・個人の最前線の情報を届けます。

東海最前線

大手製薬会社のトップクラスのMR職から外国人人材派遣会社へ転職(大垣市 ATOM株式会社 杉浦 彩さん)

2023.02.13

ひと

【ここが最前線】ライフステージの変化に応じた働き方を実践

【3点要約】
・大手製薬会社のMR職として勤務しながら家庭と仕事を両立し、成績優秀者として最前線で活躍
・家庭の事情で一時的に立場の変更を願い出るが聞き入れられず、雇われることの限界を感じ、外国人を中心とした人材派遣会社に転職
・人材派遣会社の取締役として、人材選びや幅広い取引会社の獲得、ライフステージに合わせた活躍の場の醸成に尽力

 これまで企業は、終身雇用制度のもと、社員には企業の都合に応じた働き方を求めてきました。それができない社員は退職・転職するしかありませんでした。

 女性の場合は特に結婚・出産という大きなライフイベントがつきまといます。本来喜ばしいことなのに、企業で働くうえでそれがネックになることも大きかったといえるでしょう。

 現在、少しずつではありますが、男女を問わず、社員のライフステージの変化に応じた多様な働き方を認める企業も増えており、労働市場は変化の途上にあるようです。

 杉浦彩さんは大手製薬会社でトップクラスのMR職でしたが、ライフステージの変化を迎え、外国人労働者を中心とした派遣事業を行っているATOMに転職。前職ではできなかった働き方を実践。取締役となった今では、派遣社員ができるだけ良い条件で、安心して就労できる環境づくりに努めています。

「ATOM株式会社」取締役・杉浦 彩(すぎうら あや)さん。
三重県伊勢市出身。伊勢神宮の社家に生まれる。趣味は水族館めぐり。
催眠術(大学は臨床心理学専攻で催眠療法を学ぶ)と健康相談を特技とする。
人柄のあたたかさを感じさせるチャーミングな女性だ。3児の母。

急成長の多国籍の人材派遣会社できめ細やかなサポート

 岐阜県大垣市は人口およそ16万人弱、岐阜県では岐阜市に次いで第二の人口を有します。イビデンや西濃運輸など全国に知られた上場企業も何社かあることから、財政的にも他の市町村と比較して豊かと言えるでしょう。外国人労働者も多く、市内には日本で初めて認可を受けたブラジル人学校があります。

 市の主要幹線道路の一つである県道96号(通称・養老街道)沿いのビルの1Fに「ATOM株式会社」があります。

 ATOMは岐阜県大垣市を拠点に岐阜県、愛知県、滋賀県エリアを対象に地域密着型の外国人を中心とする人材派遣業を行っています。設立は2019年、従業員は4名と小規模ながら、急成長を遂げています。主な派遣先は、自動車部品や精密機械、窯業・土石製品などの製造業です。派遣社員の平均年齢は40歳、国籍は日本・ブラジル・フィリピンなどで、フォークリフトやクレーンなどの有資格保持者も在籍しています。

 ATOMは外国人の仕事探しから勤務について、福利厚生や免許や住宅購入サポートまで、従業員が気持ちよく働き・暮らすための丁寧なサポート、相談を随時受け付けています。また、共に働く従業員同士のコミュニケーションを大切にしており、長く働いてもらえるように、外国人従業員同士の交流の機会を定期的に作っています。

派遣先でくつろぐスタッフたち

 ATOM創業者で現顧問の森岡洋二さんは鹿児島県の奄美大島出身です。10歳で両親と共にブラジルに渡り、現地では農業などさまざまな事業を行っていました。再び日本に戻ってきたのはバブル崩壊後の1998年。景気はあまりよくありませんでしたが、岐阜県の可児市で派遣会社に勤務。これがきっかけで外国人労働者を対象とした人材派遣の仕事に関わるようになり、2019年に岐阜県大垣市でATOM株式会社を設立しました。

 森岡さんの故郷・鹿児島県と岐阜県は、江戸時代の宝暦治水(宝暦年間、幕府から命じられた薩摩義士が美濃に来て木曽三川の治水工事を行った)を記念して姉妹県盟約を締結しており、歴史的にも縁が深かったこと、また大垣市にはブラジル人が多いことなどが、大垣で起業した大きな理由だったようです。

 またATOMという社名については「『鉄腕アトム』のように人の役に立ちたいから」と。森岡さんは話してくれました。

ATOM顧問で創業者の森岡洋二さん。
社長の森岡誠さんと杉浦さんは以前から知り合いだった。
森岡洋二さんは畑仕事も好きで、タピオカの原料となるキャッサバなども作っている。

 ATOMの派遣社員数は2019年は4名だったのに対し、3年後の2023年1月には40名と10倍になりました。これには創業者である顧問の森岡洋二さんの力もさることながら、2021年の秋に入社した杉浦さんの貢献が大きく関わっています。

 ATOMで取締役を務める杉浦さんは元・大手製薬会社のMR職でした。MRとはMedical Representativesの略称で、日本語では医療情報担当者といいます。薬の品質や有効性、安全性に関する情報を医師などの医療従事者に提供することで、自社の薬を患者さんの最適な治療薬として選んでもらい、購入してもらうように働きかけます。

 杉浦さんは、前職で培った営業の強みを生かして、派遣社員を採用してくれる取引先を新規開拓してきました。
 派遣社員に対しては、定期的に面談を行うことで、現状や希望を確認し、都度きめ細やかなサポートを行っています。安心して働けるアットホームな就労環境を提供しています。

 派遣先に対しては、現地リーダー制(派遣先企業でATOMの就業者が多数となった場合、担当者とは別に現地リーダーを設ける)を採用することで、よりスムーズな管理ができるよう、体制を整えています。何かあったらすぐに駆け付けられる、地域に根付いた人材派遣会社であることを心がけています。

 派遣社員の募集は、一般広告媒体以外に、SNS(Facebook、Twitter)でも告知を行っています。外国人の場合、独自のコミュニティを持っていることから、SNSの告知が応募につながりやすいというメリットもあるようです。

大垣市静里町にある「ATOM株式会社」

 

ATOMの社名とロゴ

大手製薬会社でライフステージに応じた働き方を模索するが、限界を感じる

 杉浦さんが製薬会社を退職し、ATOMに入社するまでの経過を伺いました。

 「新卒で製薬会社に入社し、とにかく仕事が楽しくて仕方がなかったです。周りの方々にも恵まれ、入社して2年目に1,000人中1位(入社1年目は研修)の営業成績を収めました。入社3年目に一人目の子どもを出産し、産休育休を経て4年目から仕事に復帰しました。」

 「復帰してからの方が、むしろ成績には拘りました。育児をしながら上位成績や海外研修などを獲得し、退職した年も年度の途中ながら約700人(数年前に会社が事業を一部分社化し、営業人数が減少)中10位前後でした。これは『家庭があっても子どもがいても、結果は出せる』ということを私が身をもって示したかったからです。

 以前はせっかく就職したのに結婚や出産のため、数年で退職する女性社員がほとんどだったようです。当時、私のような例はなかったため、ワーク・ライフ・バランス事例として社内外で紹介されることも多々ありました。その時に私が一貫して言っていたのは、『子育てと仕事を両立する人もいる。逆に能力があっても一時的に子育てを優先する人もいる。

 全てはライフステージにおける選択肢であり、いつまでもその状態が続くわけではない。ライフステージによる労働機会の変化は出産や育児に限らず、介護や疾病時など誰にでも起こり得る事態であり、社として体制を確立したほうがよい』ということでした。」

 しかし、会社にはなかなか聞き入れられませんでした。それでも杉浦さんは自分なりに工夫し、また周囲の協力もあって家庭と仕事を両立させてきました。

 「ところが一昨年の冬、息子が不登校になり、それを機に子どもとの時間を増やしたいと考えました。当時、本社の仕事も抱えており土日は出張なども多かったため『今だけ責任のある仕事を外してほしい』と会社に申請しましたが、受け入れてもらえず、雇われることの限界を感じました。ちょうど知り合いのATOMから転職の誘いを受けていたので、条件を受け入れてもらう形で、2021年秋にATOMに転職しました。」

 

外国人労働者のための派遣会社の取締役に

 

杉浦さんと森岡洋二さん

 「森岡洋二さんの息子さんで現社長の誠さんとは以前からの知り合いで、転職前から大垣には時々来ていました。私は焼き芋が好きで、ATOMの会社の前で焼き芋屋をやらせていただいていたこともあるんです。」

 杉浦さんが転職先をATOMに決めた大きな理由はそれだけではありません。一番大きかったのは、杉浦さんが望んでいた「子ども第一のスケジュールで働きたい。子どもとの時間を充実したい」ということを受け入れてもらえたからでした。転職の条件をATOMに伝えたところ「やるべきことをやってくれていたら、どんな働き方でも構わない」と言われたのです。

 ATOMは元々が自由な社風で、社員がどこで何をしていても誰も干渉しません。顧問の森岡さんは畑が好きで、収穫時期になると杉浦さんの退社時間に合わせて野菜を摘んで来てくれるそうです。それを見て(今日も平和だった)と杉浦さんもほっこりするそうです。

 「世間一般の会社からすると相当ズレていると思います。でも、それが私には心地いいです。入社前は長男の夕方登校の付き添い、長女の登校支援やスクールカウンセラー面談次男の持病による総合病院付き添いがあり、家族と手分けをして行っていました。それをなるべく自分でやりたかったので、それらを網羅できると言っていただけたことは大きかったです。そのため、現在も定時出勤や退勤はしませんし、事務所にいないことも多いです。取引先への営業や面談、新規スタッフの工場見学やスタッフ管理は私がしますが、日本人以外の求人や弊社での面談のほとんどは顧問にお願いしています。入社やトラブル時でなければ、朝早くや夜遅くまで仕事をする必要はないのです。」

 現在、杉浦さんは住居のある愛知県豊田市から大垣市まで通っています。出社は週に3回程度で契約書や請求書や経営に関する資料の作成など事務系の仕事は自宅で行い、データはクラウド管理をしているとのこと。

 「ただ、電話は24時間365日必ず出ます。電話に出られないときは、気づいた時点ですぐに折り返します。 同業他社に在籍の経験がないのでわかりませんが、弊社に転職してきたスタッフさんは皆さん電話に出るのが早くてびっくりしたと言います。電話がかかってくる時はネガティブな話のことが多いので、スタッフさんの不安や不満を早く解決できればと思い、これだけは徹底しています。」

 杉浦さんは2022年には取締役に就任しました。
 「ATOMに入社すると、『会社の方向性を決めていい』と言われたので、5年計画を立て、入社1年目は会社の土台作りとインフラ整備をしました。採用する人材選び、幅広い取引先の獲得、ライフステージに合わせた活躍の場づくりに尽力してきました。

 未だに道半ばですが、人を選んで採ることで人的トラブルは激減し、幣社の信頼性も上がりました。取引先を増やすことで人材の多様なニーズに応えられるようになりましたし、様々なライフステージの人材を受け入れる派遣先ができました。口コミで人材や取引先を紹介していただくことも増え、少しずつ会社として前進している実感があります。」

 

派遣先の拡大と多角化を目指す

 杉浦さんが入社後、取引先企業は3社から13社に増えました。現在はATOMの顔として大垣商工会議所のセミナーなどにも積極的に参加し、情報収集と事業に関わる交遊関係を広げることに力を入れています。
 「ATOM」のように製造業中心の人材派遣会社は働き盛りの男性の採用が中心と思われがちですが、杉浦さんは人種や年齢、育児や介護、持病による通院などがある人までを含めた就労意思のある人、極端に言えば全ての人間が派遣紹介の対象だと考えています。

 派遣先の新規開拓に関して特別なことはしていないといいます。
 「新規開拓時は条件等を聞く際に提案をすることもありますし、実際にスタッフを派遣し始めて状況を見て提案する場合もあります。どの会社も優秀な人材を求めるのは常だと思いますが、『優秀』の具体的なベストとベター、それ以外の分岐点は各社それぞれです。取引先様の業務が円滑に進むお手伝いをするのが派遣会社だと思っているので、そこは大前提として、上記事項を会社間の面談時に話し合うようにしています。」

 話をする際は多種多様な企業に接する経験から、派遣先の立地や職種、時給によって人材の集まり方をある程度予測することができるため、相対的な状況を踏まえて話すことが多いとのこと。どちらかといえば派遣社員の聞き取りを十分に行うようにしているそうです。

 「例えば小さなお子さんがいらっしゃる場合、残業や休みの希望について状況を踏まえてお尋ねしますし、60歳を超えても2交代を希望される場合は健康に不安なところがないかを確認します。結果的に小さなお子さんがいても就労を継続されている方は多数いますし、紹介当初は異例として採用してもらった63歳の方は就業後1年たった今も無遅刻無欠席、勤勉と好評価をいただいております。そのような経験からも、どんなバックグラウンドがあっても最終的には「人」次第だと思っております。」

男性スタッフと面接する杉浦さん

 ATOMでは、就労先と派遣社員が気持ちよく権利と義務を履行できるよう、調整を行っています。その一つに有給、産休育休制度があります。この制度は杉浦さんの入社以前から法律に則って運用されています。

 「私が入社してからは、有給や産休育休と、給料の一部前払い制度について入社時の契約書に明示し口頭と文章で確認するようにしました。権利はしっかり行使してほしい、という思いと同時に、権利と義務を鑑みて行動してほしいと考えるからです。

 ちなみに弊社の産休育休の第1号取得は男性でした。その方は家庭の事情で引っ越しされたため、今は働いていませんが『妻や上の子ども、新生児に寄り添えて良かった』と言っていただけました。他にも病気で長期療養されている方がいます。就労先様と話し合い籍を残してもらったことで、本人も復職が心の支えの一つになっていると言っております。すべてが望み通りとはいかないですが、可能な限りスタッフに寄り添って活動したいと考えております。」

 反対にマッチングがうまくいかず、就業先と本人の希望を加味し、男性の職場に女性スタッフを就業させた時は、上長の理解はありましたが職場の理解が十分ではなく、周囲との軋轢を生み、何度も話し合いをした結果、最終的に退職となったこともありました。そのスタッフとは退職後も手作りのお菓子を届けてくれるなど、今も交流が続いているそうです。

 入社時はインターネットや求人誌で製造業を調べて、ひたすら電話をしていましたが、現在はそこからつながった企業から紹介をしてもらうことが増えたとのこと。

 「人材派遣のことを何も知らずに業界に飛び込みましたが、そこで出会ったスタッフさんや取引先様のおかげで毎日楽しく仕事ができております。業界の常識もわからなかった私に、時には心配し時には応援し、力になってくださった周りの皆さまのおかげで今があります。感謝の気持ちでいっぱいです。」

 これまでは製造業が主体でしたが、今後は経営の安定を視野に、前職のキャリアも生かして医療関係の企業を開拓するなど、派遣先を多角化していきたいと考えています。また、外国人だけでなく日本人の派遣社員を増やすことも検討しています。

 将来的な里山暮らしを夢見て大垣市内の移住体験ツアーにも参加。自分が望む労働環境を手に入れたことで、杉浦さんの今後はますます輝きを増すことでしょう。ATOM株式会社から目が離せません。

 

【会社概要】
ATOM株式会社
代表者:代表取締役 森岡誠
創業:1983年
設立:2019年
所在地:〒503-0983 岐阜県大垣市静里町1171-1
事業内容:一般労働者派遣事業・有料職業紹介事業
連絡先:090-8182-6636
URL:https://www.a-t-o-m.co.jp/

 

【取材・文】
松島 頼子
岐阜県出身。岐阜県を拠点に約20年、地域の活性化から企業家インタビューまでライターとして幅広く活動。実家はお寺。地域の歴史や文化、伝説などを深掘りすることで、まちの活性化や地域を見直すことにつなげたい。
「里山企画菜の花舎」 代表
里山企画菜の花舎