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東海最前線

東海地方の不動産・注目エリア(24)安城市

2022.10.11

社会・地域

東海地方の不動産の注目エリアを紹介する連載、第24回目は、安城市をとりあげます。

安城市は、愛知県のほぼ中央部、西三河にあります。北は豊田市、西は知立市、刈谷市、高浜市、碧南市、南は西尾市、東は岡崎市に接しています。市の南東部、岡崎市や西尾市との境界に矢作川が流れています。

近年、暮らしやすい住宅地として人気が高く、令和4年の基準地価で、愛知県の市町村の中で地価の前年比上昇幅が最も大きかったのは安城市の4.5%でした。

人口に占める団塊ジュニア世代や子どもの割合が比較的多く、子育てをする人たちにとって人気があります。今回は、安城市についてご紹介します。

 

安城市の由来・歴史

安城の名前の由来は、京都の安祥寺の荘園だったのではないか、など諸説があります。
本願寺第3代覚如の長男存覚が1355年(文和4年)に記した『存覚袖日記』に、朝円が描いた親鸞の絵(安城御影)を三河国の安城に住む照空房が所蔵していたという記録があり、安城の地名が登場する最も古い記録です。

安城市の市域には古代から人が暮らしており、旧石器時代の槍先の石器類や貝塚などが出土しています。

古墳時代前期には、矢作川流域の櫻井古墳群で20基ほどの古墳が確認されています。中でも二子古墳や姫小川古墳は国の史跡であり、墳丘の長さが65m以上と愛知県最大級の前方後円墳です。

701年に定められた大宝律令の国郡里制のもとで今の安城市を含む周辺地域は「碧海郡」となりました。

今の安城古城跡には、平安時代には志貴荘の荘館があったという説もありますが、詳しくは分かりません。鎌倉時代には安藤氏がここに館を設けました。室町時代には畠山宗元が志貴荘の代官として赴任して和田氏を名乗り、和田氏五代の本拠となりました。

1480年(享栄10年)の享栄の乱の後、安祥城を800メートルほど東の現在の安城城跡に移築しました。

戦国時代には、安祥城(安城城)を居城とする安城松平4代(親忠・長忠・信忠・清康)が、西三河を中心に勢力を拡大しました。

徳川家康の祖父、松平清康が家臣の阿部正豊に暗殺された「森山崩れ」を機に、松平家は弱体化し、安祥城は清州の織田信秀(信長の父)によって攻略され、織田信広(信長の兄)が城主となりました。

松平氏を傘下に入れた今川氏は安祥城を攻略し、織田氏の勢力は刈谷城まで後退しましたが、桶狭間の戦いによって今川義元が打ち取られました。

三河を取り戻した松平元康(後の徳川家康)と織田信長の間に清洲同盟が結ばれると、尾張に対する岡崎城の前線基地としての意味合いが薄れ、安祥城は廃城となりました。

安祥城をめぐり戦場となった場所には、現在、塚や墓碑が築かれ、城址は歴史公園となり、歴史博物館・市民ギャラリー・埋蔵文化財センターが建ち並びます。

安生城址公園(写真:HiC)

明治時代には、明治13年に明治用水が完成、明治24年に国鉄東海道線安城駅が開設、明治34年に県立農林学校が開校されるなどして発展しました。

明治22年に村制が施行され碧海郡安城村となり、明治39年に碧海郡の複数の町村が合併して町制を施行し、碧海郡安城町となりました。

大正末期から昭和期初めに安城町を中心とした碧海郡には先進的な農業経営が導入されました。多角的な農業経営、教育・指導機関の充実、組合組織の発達、のみならず、病院や図書館の設置など、人間として心豊かに生きる農村づくりに意欲的に取り組みました。そのため「日本丁抹(デンマーク)」として全国に知られました。

1952年(昭和27年)に市制が施行されて安城市となりました。1967年(昭和42年)に碧海郡桜井町を編入して、現在の市域となりました。1988年(昭和63年)には東海道新幹線の三河安城駅が開業しました。

三河安城駅(写真:ZenGO)

 

安城市の産業

現代の安城市では、自動車産業を中心とする製造業が発展しています。市内には、上場企業では次の5社の本社があります。スポーツクラブやビジネスホテル・賃貸マンションを運営する東祥、自動車部品製造の旭化学工業、自動車部品製造のニッセイ、工具メーカーのマキタ、ビジネスホテル運営のABホテル。また、アイシン精機の子会社のアイシン・エィ・ダブリュをはじめ、製造業を中心に多数の企業が立地しています。

「日本デンマーク」の歴史を受け継ぎ、現在も農業が盛んです。米や小麦、大豆、果物、野菜、花卉、畜産物を生産しています。中でもイチジクは日本有数の産地となっています。

デンパーク(写真:AC-rosemary875)

 

交通

安城市の人口は187,037人で、愛知県の市町村では7番目に人口が多い自治体です。 (2022年8月1日時点、愛知県人口動向調査結果(月報))

交通の便も良く、自動車では国道1号や国道23号といった幹線道路が東西を横断しており、近隣の豊田市や岡崎市、刈谷市などへのアクセスも容易です。

公共交通機関は、市内を通る路線は、東海道新幹線、JR東海道本線、名鉄名古屋本線と、名鉄新安城駅から西尾市の吉良吉田駅までを結ぶ西尾線があります。

JR 東海道本線の安城駅から名古屋駅へは快速で約30分。名鉄名古屋本線の新安城駅から名鉄名古屋駅へは特急で約30分。新安城駅から名鉄三河線の新豊田駅へは約30分で行くことができます。三河安城駅から東海道新幹線に乗れば、新大阪までは約1時間20分、東京までは約2時間30分で行くことができます。

 

子どもから大人まで楽しめる公園や施設

安城産業文化公園デンパークは、「日本デンマーク」と言われた歴史をもとに、自然と親しみ、花のある暮らしを提案する施設として1997年4月にオープンしました。

デンパーク

ヨーロッパ風の庭園や温室内で四季折々の花を観賞できます。大型木造遊具のリーチ・フォー・ザ・スカイやローラー滑り台などの遊具もあります。地ビールや地元産の食材を用いたレストラン、ソーセージ作りや花・ガーデニング講座などの体験など、子どもから大人まで楽しめる人気のスポットです。

デンパーク

堀内公園は、市制40周年の記念事業として開設された、子どもが喜ぶ遊具がそろった総面積約5.9haの公園です。観覧車、メリーゴーランドなどの有料遊具やローラー滑り台、ふわふわドームなどの無料遊具を楽しむことができます。

堀内公園

堀内公園

2017年6月にはJR安城駅前に複合施設「アンフォーレ」が開業。これは、中心市街地にあった総合病院の跡地および隣接市街地の土地区画整理事業(約12,305平方メートル)が行われたものです。図書情報館やホールがある本館、イベント等が行える広場や公園、商業施設や駐車場を備えた、中心市街地の賑わいを生み出し交流できる開放的な施設です。

アンフォーレ

 

街全体で盛り上がる、安城の七夕まつり

安城の七夕祭りの始まりは1950年、商工会の夏行事として花火大会や商店街のセールが行われたことがきっかけです。1952年に市制が施行され安城市が誕生すると、祭りも盛大なものにしようという気運が高まり、1954年に最初の「安城七夕まつり」が開催され、この成功を受けて毎年開催しています。

安城七夕まつりは、毎年8月の最初の金曜日から日曜日に開催されます。全国から100万人を超す人が訪れます。道路を埋める華やかな竹飾りが見どころで、竹飾りや短冊の数は日本一多いと言われています。盆踊りやマーチングパレード、ダンスバトルなどの市民参加の多彩な催しも行われます。

(写真:ZenGO)

安城市は製造業や農業が盛んで、交通利便性も良好、子どもから大人まで楽しめる公園や施設があり、子育てする人にとっても住みやすい街です。

【参考】
・安城市 市長のページ
 https://www.city.anjo.aichi.jp/mayor/message/2005/02.html
・新編安城市史1通史編 https://tinyurl.com/y5nq5p4t
・碧海地区の城 https://tinyurl.com/y6b4x93k
・安城七夕まつり http://www.anjo-tanabata.jp/
・安城産業文化公園デンパーク http://denpark.jp/
・堀内公園 http://www.katch.ne.jp/~aichswim-hp/
・アンフォーレ https://anforet.city.anjo.aichi.jp/
・安城市 中心市街地拠点整備事業 https://tinyurl.com/y38o5byy

 

企画:名城企画株式会社2005年に名古屋市東区で開業した不動産会社。
不動産売買事業、不動産仲介事業、パーキング事業(名城パーキング)、
不動産管理事業、賃貸仲介事業(ホームメイト事業)、太陽光発電事業の6事業を展開。
地元名古屋の総合不動産企業としてお客様の要望にこたえるため、
大企業の組織的な考えにとらわれない柔軟なサービスを提供しています。

 ・名城企画株式会社:http://www.meijokikaku.jp/ ・名古屋・東海収益不動産NAVI:https://www.nt-navi.jp/


著者・編集:
東海最前線 編集部


写真(撮影者の注釈が無い写真全て)

南谷有美 フリーランスのカメラマン/ライター
2018年4月に認可外保育園長を退いてから、各地を巡る旅人に。
リモートで仕事をしながら、好きな場所で好きなことをして生活している。