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6年ぶり開催!故・市川團十郎さんの思い受け継ぐ「第4回 櫻香の会」(3)見どころ解説

舞踊家であり・伝統芸能者の市川櫻香さんによる「第4回 櫻香の会」が、令和元年12月15日(日)に名古屋能楽堂で開催されます。「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」「小姓彌生(こしょうやよい)」「改元遊行柳(かいげんゆぎょうやなぎ)」の3つの演目を上演します。

市川櫻香さん(以下「櫻香さん」)は、1983年に女性で歌舞伎を行う「名古屋むすめ歌舞伎」を設立。歌舞伎俳優の故・十二代目市川團十郎さんから指導を受けて、市川宗家より市川性を許されています。「櫻香の会」は團十郎さんから後押しを受けて2007年に始まった伝統芸能の会です。市川團十郎さんが2013年に白血病の闘病を経て亡くなられる前に、2007年の「第1回 櫻香の会」と2009年の「第2回 櫻香の会」で特別出演と市川團十郎初脚本の上演も実現しています。今回の公演は2013年の「第3回 櫻香の会」以来、6年ぶりの開催となります。

今回は「櫻香の会」の3演目の特徴や見どころを解説します。

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「北州千歳寿」〜江戸後期の吉原の日常と美しさ、時代の移ろいを感じる祝儀曲〜

作られた時代:江戸時代後期・文政1年(1818年)
作者:太田南畝/蜀山人(作詞)川口お直(作曲)
舞台:新吉原(浅草)

「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」は、清元の御祝儀曲です。清元というのは、江戸時代後期の文化1814年に生まれた三味線音楽の伴奏による豊後節系浄瑠璃のひとつ。主に歌舞伎や歌舞伎舞踊の伴奏音楽として知られています。 

 

■廓の様子や風情をありありと表現した作詞作曲
日本舞踊の楽曲である「北州千歳寿」は、文化13年(1816年)に焼失した浅草の遊郭・吉原の復興がかなったことを祝い、作られました。「北州」とは江戸の北方にある「新吉原」を指します。歌詞のなかにはお正月から歳の市まで、吉原や浅草の四季折々の年中行事が登場し、吉原を行き交うさまざまな人々の様子が描写されています。

 

実際に現在も吉原は浅草北部にあり、「日本堤」などの地名もそのまま残っています。歌詞に出てくる「酉の市」や「歳の市」は今も続いているお祭りです。

 

当時の江戸の人々にとって、吉原は華やかな社交場でした。そして読み書きや和歌、茶道、華道、香道、書道、古典などあらゆる教養を学んだ一流の遊女は、今でいう一流スターやファッションリーダーのように人気を博し、憧れをもって迎えられていました。人気遊女の浮世絵は飛ぶように売れ、町娘は彼女たちの着物ファションやスタイル、髪型などを真似したのです。「北州千歳寿」では、最高位の遊女・松の位の太夫の花魁道中も描かれています。

 

作詞は蜀山人(しょくさんじん)として知られる太田南畝(おおたなんぽ)。南畝は幕臣でありながら文化人としても活躍し、こっけいを主にした狂歌や洒落本などを次々と発表。「狂歌三大家」とも言われています。そんな南畝は吉原にもよく出入りしており、遊女を身請けして妾にしています。そのため廓の内情にも詳しく、吉原の年中行事や四季折々の風物がよく表れています。また歌詞の中に故事来歴を引用しており、雑学者としての粋も感じます。通な方が聴けば掛け言葉なども楽しめるでしょう。

 

楽曲は「凡そ千年の鶴は万歳楽(まんざいらく)と謡うたり また万代(ばんだい)の池の亀の甲は、三曲にまがりて、廓を露(あら)はす」と始まりますが、この一文だけでも謡曲の「翁」、河東節「式三番翁」の文句から「鶴と亀」を引用し、お祝いの意味をこめています。また「三曲にまがりて」も、「吉原細見(さいけん)」という当時の吉原のガイドブックの一文です。吉原や浅草の風情を感じながら、その歌詞に隠された掛け言葉を探すのもおもしろいかもしれません。

 

また、作曲は元吉原の芸者で料亭の女将をしていた川口お直が担当しています。実際に吉原で生活していたお直だからこそ、廓の雰囲気をありありと伝える優雅な音色を表現し、奏でることができたのでしょう。

 

■18人の登場人物を扇子一本で踊る
「北州千歳寿」は、踊りの面でもとても難しい楽曲と言われています。同曲を日本舞踊の師範代になるための楽曲としている流派もあるほどです。歌詞の中には、花魁や禿、男衆や若い遊女、酔客や武士、そして馬士まで、たくさんの登場人物が出てきます。その人数は18人にものぼるそうです。

 

さまざまな登場人物を、扇子一本で描写する舞踊。踊り手の表現を通して、吉原の日常や風情、四季の移ろいなどを感じることができるでしょう。「今はどの人物を踊っているのだろう?」「なんの行事の場面だろう?」と意識して見ると、よりリアルに当時の情景が伝わってくるかもしれません。

 

「小姓彌生」〜新歌舞伎十八番。市川家の大事な演目〜

作られた時代:明治26年(1893年)初演
振付:九代目市川團十郎、二代目藤間勘右衛門
作詞作曲:福地桜痴(作詞)、三代目杵屋正次郎(作曲)
舞台:江戸時代・徳川千代田城の大奥

「小姓彌生(こしょうやよい)」は、九代目市川團十郎が振付けた歌舞伎舞踊「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」の彌生のくだりです。「春興鏡獅子」は、長唄「枕獅子(英獅子乱曲 ・はなぶさししのらんぎょく)」の踊りの稽古をしている娘の姿を見た九代目團十郎が発想しました。新歌舞伎十八番のひとつでもあり、成田屋・市川家としても大事な演目です。

 

物語の舞台は徳川千代田城の大奥。正月七日の「御鏡餅曳き」(鏡開きに先立つ多くの行事)の日に、お茶の間話の小姓・彌生は将軍の前で踊りを披露することになります。小姓(こしょう)とは、武士の職のひとつで、武将の身辺に仕え、諸々の雑用を請け負う人物。彌生はお茶を給仕する係です。奥女中たちに引っ張り出された彌生は、戸惑いながらも可憐に舞います。そして踊りながら神棚にまつられている平獅子を持つと、獅子の精が乗り移るというお話です。前半は気品のある女方、後半は荒々しい獅子の精という対照的な踊りですが、今回の「櫻香の会」では前半の「彌生」の舞の部分のみ上演します。

 

■能の演目「石橋(しゃっきょう)」がベース
歌舞伎・日本舞踊の演目である「春興鏡獅子」は、「石橋物(しゃっきょうもの
)」と呼ばれるジャンルの人気作品です。

 

「石橋物」とは、能の演目「石橋」を取り入れた作品のこと。仏跡を訪ね歩いた寂昭(じゃくじょう)法師が中国へ渡り、仙境とされるの清涼山の麓にたどり着いたところから物語が始まります。山の中へは細く長い石橋がかかっていて、その先は文殊菩薩の浄土とされていました。意を決して石橋を渡ろうとする寂昭法師ですが、樵(きこり)が現れて「渡ることは無理だからやめろ」と諭します。

 

立ち止まり悩む寂昭法師の前に獅子が現れ、赤と白の牡丹の花の前に囲まれながら勇ましく踊り始めます。この獅子こそが文殊菩薩の使いだったのです。

この「石橋」の物語をベースにしたものや、獅子を題材にしたものが「石橋物」と呼ばれています。

 

九代目團十郎は、娘が長唄「枕獅子」の稽古をしている姿を見た際に「春興鏡獅子」を思いつきましたが、「枕獅子」も「石橋物」のひとつです。馴染み客の男性との仲がうまくいかないことに思い悩む傾城(位の高い遊女)が、もの狂い、最後は獣の力に取り憑かれて女の獅子になってしまうという物語。九代目團十郎は歌舞伎舞踊を格調高いものにすることを目指し、「枕獅子」の歌詞をほぼそのまま使いながら、舞台を廓から江戸城大奥に変え、主人公も傾城から小姓に変更したのです。

 

■次世代を担う若手女優2人で舞う「彌生」
今回の「櫻香の会」では、獅子の部分の舞はなく、前半の「彌生」の舞を上演します。「春興鏡獅子」は男性が演じるものとして九代目團十郎が作りましたが、もとは娘の稽古姿から発想しました。つまり可憐な女性を想定して作られた作品です。

 

「獅子の毛ぶり」は見せ場ですが、本来なら男性の獅子が筋肉のある体で振るから迫力があります。市川櫻香さんは女性が演じる場合の後半の獅子の表現方法を考え、「彌生の舞だけという方向性もありかな」と今回のような演出を考え、十二代目團十郎さんにご相談したところ、「後(のち)を考えてもいいね」と認めてくれたそうです。

 

今回の「小姓彌生」は、櫻香さんのお弟子さんである市川舞花さんと芝川菜月さんが演じます。通常1人で踊る「彌生」ですが、2人で踊ることで振りが一層強調されることでしょう。お正月の行事で踊り手に大抜てきされた彌生の緊張感と、光栄な気持ち。次世代を担う若手の舞から、彌生の置かれた状況を思い浮かべて見てみるのもおもしろいかもしれません。そして、ひと足早いお正月気分を味わってみてはいかがでしょうか?

 

改元「遊行柳」~柳の木の内なる思いと時の流れを感じて〜

作られた時代:室町時代末期
作者:観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ)
舞台:陸奥国  白河関付近(現在の福島県白河市)

 

改元「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」は、室町時代に能楽師の観世小次郎信光(かんぜこじろうのぶみつ)によって作られた作品です。現在の福島県白河市である陸奥国・白河関付近を舞台に、老いた柳の木の精霊と遊行上人(ゆぎょうしょうにん)との出会いや、老柳の精が成仏するまでを描いています。

 

■時代の変化を見続け、ようやく成仏できた柳の木
遊行上人が従僧たちとともに白河関にたどり着くと、一人の老人が現れます。老人はこの先に「新しい道と古い道」があることを伝え、昔の遊行上人が通ったという古道を案内します。その古道の先には名木「朽木柳」がありました。老人は、平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した西行法師がこの柳のもとに立ち寄って歌を詠んだことを伝えると、姿を消してしまいます。

 

その夜、一行が念仏を唱えていると老柳の精が現れます。そして上人の念仏に感謝の意を伝えたのです。老柳は自分が咲き誇っていた若い時代を思い出し、華やかな昔を恋い慕って、柳にまつわるさまざまな出来事を語りながら舞を披露します。平安時代の「源氏物語」に登場する柏木が、女三宮に恋するきっかけともなった宮中での蹴鞠の様子なども懐かしんでいます。そして老柳の精は夜明けとともに消えていき、あとには朽木の柳が残っているだけでした。

 

年老いて誰からも見られなくなった老柳が遊行上人一行に出会い、自分のこれまでの生き様を伝えられたことで、ようやく成仏することができたのです。上人たちへの舞は、自分の存在を見つけてくれたお礼でもあります。

 

長い長い時代の移ろい、世界の変化をずっと見てきた老柳。令和に生きる私たちからすると、そもそも室町時代ですら遠い物語の話に感じますが、老柳はさらに前の平安時代や鎌倉時代を生きてきたのです。遊行柳を通して、壮大な時の流れを感じることができます。

 

■スペクタクルから幽玄へ−信光の心境の変化
作者である信光の父は能楽師・世阿弥の甥ですが、信光はこの作品を作るにあたり、世阿弥の「西行桜」から強い影響を受けたと言われています。

 

「西行桜」は桜好きとして知られる西行法師を題材にした作品で、京都にある西行の庵室が舞台です。その庵室で西行がひとり桜を眺めていると、次々と花見客が訪れてきます。はるばるやってきた人々を追い返すわけにはいかず、西行は皆と桜を眺めます。そして、「花見んと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜の咎にはありける」と詠みました。「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」と、わずらわしさを少しぼやいたのです。

 

するとその夜、桜の空洞から白髪の老人が現れます。老桜の精は「わずらわしいと思うのも人のこころ」と西行を諭し、西行に桜の名所を教えて舞を踊ります。西行が目覚めると老桜の精は消え、ただ老木がひっそりと佇んでいるだけでした。この「老木の精が老人の姿となって現れ舞を舞う」という趣向は、世阿弥の「西行桜」から影響を受けた部分です。

 

信光が活躍した室町時代後期は、幽玄を基調とした世阿弥の時代と違い、ショー的要素が強くスペクタクル性のある作風が好まれました。そのため信光の作品も華やかなで、わかりやすい劇的展開のものが多いとされています。しかし信光の晩年作である「遊行柳」は、世阿弥以来の幽玄を基調とする作風です。自身も年をとり、これまでの人生を振り返る中で、心境に変化があったのかもしれません。

 

「老」をテーマに時代をつないでいく「遊行柳」。室町時代末期に作られた、しとやかで優雅なお話をお楽しみいただければと思います。

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公演案内

「第4回 櫻香の会」
日程:2019年12月15日(土)14時30分開演(30分前開場)
会場:名古屋能楽堂
出演:市川櫻香、市川舞花、市川阿朱花、柴川菜月/鹿島俊裕
演目:「北州千歳寿」「小姓彌生」「改元遊行柳」
主催:市川櫻香の会、日本の伝統文化をつなぐ実行委員会
所在地:〒460-0012 愛知県名古屋市中区千代田3-10-3
電話:052-323-4499
FAX:052-323-4575
MAIL:info@musumekabuki.com
URL:https://d-tsunagu.amebaownd.com/posts/7156955/

 

著者:コティマム(ライター)

30代1児の母。元テレビ局の芸能記者。東京のマスコミ業界で10年以上働く。現在は在宅のフリーライターとして、育児と両立できる「新しい働き方」を模索中。在宅やフリーランスの働き方について、ブログ「コティマガ」でつづっています。
ブログ「コティマガ」:https://cotymagazine.com/